専門的な知識や研究内容ではなく、広く学びに携わる・携わった「人」に焦点を当て、どのような経緯を経て今に至るかといったことを探る記事カテゴリー、それが「アカデミックインタビュー」!
第8回は、筑波大学広報戦略室長としても活動しながらサイエンスコミュニケーション協会会長も務める渡辺政隆教授に
- サイエンスコミュニケーションとは何か
- これまでとこれからのサイエンスコミュニケーション
- 研究や執筆業に至った経緯
などについてお聞きしていきます。
専門分野:サイエンスコミュニケーション/進化生物学
主著:ダーウィンの遺産―進化学者の系譜/一粒の柿の種―サイエンスコミュニケーションの広がり/種の起源(翻訳)
趣味:サッカー観戦
そもそもサイエンスコミュニケーションとは何か
こんにちは! 日本におけるサイエンスコミュニケーションの立ち上げに尽力された渡辺先生には、サイエンスコミュニケーションのこれまでとこれからについて伺わせていただきます。まずは、「サイエンスコミュニケーション」とは端的に言うとどのようなものなのでしょうか?
最初に言っておくと、「サイエンスコミュニケーションとはこういうものだ」みたいなものがないのがサイエンスコミュニケーションなんだよね。コミュニケーションってものには文脈が必ずあるじゃない?だから、文脈に応じて「サイエンスコミュニケーション」のあり方というものも変わっていくと思うといいかもしれない。
なるほど、確かにコミュニケーションと一重に言っても「5W1H」がありますもんね。
最初は科学者から市民の方々への普及・啓蒙的な活動だった。だけど、それって権威主義的な側面があったし、「結局、科学好きの集まり」だとか「関心が低い人達には届かない」みたいな批判もあって、科学普及活動ではなくてサイエンスコミュニケーションというように対話を重視するような流れになっていってるんだよね。
今、「科学普及活動」と「サイエンスコミュニケーション」というように、「科学」と「サイエンス」という言葉を別々に使いましたが、別の意味合いを込めているんでしょうか?
最初は科学者から市民の方々への普及・啓蒙的な活動だった。だけど、それって権威主義的な側面があったし、「結局、科学好きの集まり」だとか「関心が低い人達には届かない」みたいな批判もあって、科学普及活動ではなくてサイエンスコミュニケーションというように対話を重視するような流れになっていってるんだよね。
今、「科学普及活動」と「サイエンスコミュニケーション」というように、「科学」と「サイエンス」という言葉を別々に使いましたが、別の意味合いを込めているんでしょうか?
サイエンスには工学や人文学(ヒューマンサイエンス)も含んだ意味合いになるんだよね。それも、サイエンスコミュニケーションには文脈が重要だという話や「これがサイエンスコミュニケーションだ」というものがないという話にも繋がる側面がある。だから、本来はいろんな分野に開かれたコミュニケーションが望ましいと思っているよ。
なるほどー。やはり敢えて「サイエンス」という言葉を使っていたんですね。
一重にサイエンスコミュニケーションと言っても、昔からあるような「科学者→市民」という形や、「科学者↔科学者」もそうだし、今では「科学者↔市民」という形が理想として活動を行っているんだ。
これから目指すサイエンスコミュニケーション
大まかにサイエンスコミュニケーションの輪郭が見えてきました。先ほど、対話を重視する流れにあるという話がありましたよね。また、サイエンスは工学や人文学も含むようなものだと。では、これからのサイエンスコミュニケーションが目指すものとして具体的にはどのようなものがあるのでしょうか?
研究を突き詰めていく中でどうしてもタコツボ化してしまう側面があるから、文理融合を目指していくというものはあるね。異分野の交流を通して、新しいイノベーションを起こしていくきっかけにもなるだろうし。
先生自身がサイエンスコミュニケーションを通して目指しているものはあるんでしょうか?
僕はね、サイエンスが文化としてもっと浸透していったらいいなと思ってるよ。例えば、「文学」っていうと今は大学や研究への予算が削られていく中で厳しい側面があるけども、作家じゃなくたって「文学が好きです」っていう人はいるよね。これって、必ずしもプロフェッショナルじゃなくても文学を好きだという認識が普及しているからだと思うんだよ。社会にインパクトを与えるものとしてサイエンスがあることを考えても、文化としてサイエンスをもっと認識していってもらえたらなって思うんだよね。
確かに親しみを持って接する人がもっと増えれば、敢えてサイエンスコミュニケーションと名乗って活動する必要もなかったりするのかもしれませんね。
この話は教育の話にも繋がるんだけどね、明治以降に教育制度を整えるに当たって「科学」ではなく「理科」として科目が設けられたんだ。「理科」には自然と接するという意味合いがあって名付けられたそうなのだけど、実学的なものは「技術」という科目に吸い寄せられてしまった。「国語数学英語理科社会」というような科目のスタートは同じだったんだけどね。
科学って言われるようになるのは大学からというイメージはありますね確かに。
小学生・中学生に一番好きな科目を聞くと「理科」と答えるんだけど、社会に出て役立つものはと聞くとガクッと下がってしまうんだよね。だから、サイエンスの敷居を下げる活動は重要で、小幡君がやっている活動はそこにフォーカスしてるよね。まぁ、彼の場合は楽しんでやってる側面は大きいのだろうけど(笑)
研究・執筆業に至った背景
先生は最初は大学の教員ではなくライターとして活動し、そこから大学の職員になっていますよね。研究や執筆業に携わるようになったのはどのような経緯があったのでしょうか?
大学院では進化生物学や科学史を主に学んでいたのだけど、博士課程の時にはもう既にサイエンスに関する執筆業はしてたよ。途中で研究にはあまり向いていないなってことに気づいてしまったんだけどね(笑)
そうだったんですか(笑)というと、どういったことから研究には向いていないと思ったんですか?
研究ってのは、一つの対象に絞って実験したりしながら緻密にデータを集めるといった作業をするのだけど、そういった一つの的に絞ることがそこまで向いていなくて、研究に煮詰まってしまったんだよね。
進化生物学といってもどういった側面に特に関心を持っていらっしゃたんですかね?
やっぱり一番知りたかったのは「生物はどうやって進化してきたのか?」ってことなんだけど、アプローチが多面的にありすぎて絞れなかった。当時の1970年代は生態学・行動学なども劇的に変わってきた頃でね。
もともと生物が好きで関心があったんでしょうか?
小学校の頃から鳥を飼ってて、ただただ好きだったんだけど、その頃は「物理学かっこいいな」と思ってたんだよね。中学校終わりから高校にかけて「ゴジラ」の本とか進化の本を読んでいて、徐々に進化に興味を持つようになっていったんだ。
博士課程在学時に研究からサイエンスコミュニケーションの分野に移っていったとのことですが、当時はどのように科学に関する執筆は捉えられていたんでしょうか?
その職に関してもいろんな呼び方があってね。それは今もだけど、
- サイエンスライター
- サイエンスコミュニケーター
- 科学作家
- 科学評論家
みたいにいろいろある。でも、2000年前後は今ほど認知されたことばじゃなかったからそれを普及させてやろうと活動が広がっていったんだ。それが、日本でサイエンスコミュニケーションを盛り上げていった流れがあるね。
第3回で取材させて頂いた宮本道人さんは科学評論家としてさまざまな活動をなさっています。
これからのサイエンスコミュニケーションを担う者への一言
最後に一言、これからのサイエンスコミュニケーションを担う若者へ送る言葉はありますでしょうか?
そうだね、サイエンスコミュニケーションを積極的にやろうとしている人は科学を好きになってもらおうとするんじゃなくて、関心を持ってもらうことを主眼にすべきだと思う。好きになってもらおうとすると押し付けになってしまうからね。そうじゃなくて、一人でも関心を持ってもらう人を増やすことが大事だと伝えたい。
そこの線引は難しいと思うのですが、ゴジラのストーリーにも象徴されているように科学技術が社会に与えるインパクトは大きいですからね。そこが文化としてのサイエンスを作っていくことにもつながりますよね。
関心を持ってもらうということは、自分の問題として捉えられるようにするということもサイエンスの場合は大きいかもしれないね。
どうしてあまり関心が持たれないんですかね?例えば、スウェーデンでの環境教育を学んできたからお話を聞くと、教育としてだけではなく文化として「みんな」で行うという意識が強いようです。
さっきの「科学」ではなく「理科」として行われている教育で植え付けられてしまった先入観が大きいんじゃないかな。北欧は直に地球温暖化の影響も受けやすくて危機意識を持っていることも関係していると思う。
なるほど、確かに危機意識を持てるのは自分事として捉えられる良いきっかけになりますものね…勉強になります。貴重なお話、ありがとうございました!
おすすめ本
『一粒の柿の種』は自分が思っているサイエンスコミュニケーションについてまとめたもので、『ダーウィンの遺産』は進化生物学についてまとめた本です。
インタビューを終えて
先陣を切ってサイエンスコミュニケーションを日本で普及させたとの噂を聞き伺ったのが、渡辺政隆教授。
必ずしも研究にのみ従事していたわけではないけども、そんな渡辺先生の活動が今のサイエンスと社会をつなぐ一つの架け橋となっている、そう感じた取材だった。
サイエンスに取り組む・取り組んできた者にとって「サイエンスを身近に」と思ってしまうことは不可思議ではない。サイエンスに親しみがなかった者にとって、自分事に置き換えにくいのは確かだ。
けれど、『重力とは何か』という本でバリバリの科学の最前線に立つ著者が「科学とはアイディアの自由市場なんです」と言うように、身近なものがすべて科学の対象でもある。
「空はなんで青いんだろう?」「人間と動物と虫って何がどう違うのだろう?」
純粋な興味とそれへの探究心を持つこと、それがまずは科学に親しむ第一歩目となるのだろうと思うのであった。