本記事では、ACADEMIC CAMPを開催するにあたって、2018年3月段階で、整理し提示した現状認識について書き記します。
『これからの大学(学問×地域×教育)を考えるACADEMIC CAMP!』を行った開催経緯、目標(狙い)、大学を考える三つの方向性についてのまとめは下記を参照。
[aside type=”warning”] あくまで、ACADEMIC CAMPにおいて資料や説明を行ってきた論点提示を、改めて記事にて言語化したものです。そのため、より正確な理解や調査と議論が必要なのは言うまでもありません。やや恣意的な記述をしておりますが、学術論文というものではないことを踏まえて、あくまで起案者であり論点を提示したShare Study代表としちるのまなざしを強調することを意図したものとなっております。[/aside]大学×学問の現状認識の概要
- 人口減少と地方創生に向けた大学改革
- 大学経営における2018年問題
- 関係人口と偶然性のある出会い
- 経済構造の転換(第四次産業革命)と魔法の世紀
学問と社会をめぐる関係の動向
人口減少と地方創生に向けた大学改革
日本においては年々加速する少子高齢化社会への不安が政治経済、社会文化的な問題の根底に横たわっています。
下記は今後の日本人口の推移予測を棒グラフ化したものです。
あくまで、2010年代後半以降は推測ですが、2030年には高齢化率が30%近くとなり、生産年齢人口となる世代の負担が増大することはほぼ間違いありません。
高齢化により医療費負担も増大し、公共交通機関も合わせてソフト・ハードともに整備する必要があります。
さらに、目まぐるしく進展するグローバル化の中での経済を鑑みると、社会保障をはじめとした富の再分配をどのように行うのかも同時に問われてくるでしょう。
昨今、起業を行って果敢に挑戦する、いわゆる「スタートアップ」が流行っていますが、事業を起こして挑戦するということは当たり前ですが、失敗し負債を背負うリスクを伴います。
メディアで拡散され取り上げられるものには、成功した事例が多いようにも感じることがあるかもしれませんが、成功の影にはたくさんの屍が横たわっていると考えていいでしょう。
下記の『国立大学改革プラン』で示されているように、大学における起業支援や推進も目立ってきています。
人口減少社会を見据えて、「地方創生」の文脈で大学に導入されたのがCOC(Centers of Community)事業です。
文部科学省では、平成27年度から、大学が地方公共団体や企業等と協働して、学生にとって魅力ある就職先の創出をするとともに、その地域が求める人材を養成するために必要な教育カリキュラムの改革を断行する大学の取組を支援することで、地方創生の中心となる「ひと」の地方への集積を目的として「地(知)の拠点大学による地方創生推進事業」を実施します。
COC事業では、「地(知)の拠点」を目指した活動として、地域における就職・起業支援を目指し、大学と地域のセクターが連携して行うものです。
このような取り組みも、若者の都市圏流入を軽減することを目指してなされておりますが、ACADEMIC CAMPの参加者を募るため、全国行脚をしていた際にはCOC事業に対し、批判的な見解も見聞きしてきました((今現在、行われているのはCOCから、COC+というものへと変わっています。ざっくりいうと、+からは大学と地域との連携をより深める方向に変化しているのですが、実際、地域企業のニーズとしてどこまで大学卒業者を求めているのか、これまでの事例が少なかった分、噛み合っていないのではとの見解を聞きました。大卒者が就業することで、地域企業の賃金コストが上昇し、経営が厳しくなることや新卒の学生も、ニーズが合わなければ結果的に転職することを鑑みると、大卒ではない地域住民にとっての働き口の減少が考えられるという可能性もあるという話です。実際に分析をしてみなければ詳しくは分からないということは大前提ですが、「地方創生」の事業支援が終わり、中途半端に地域への就業支援などが投げ出され、「単に地域企業に若者が就業すればいい」といった言説で終わってしまうのであれば、よくよく注視する価値のある事案だと言えるでしょう。))。
「地域」といってもその規模感は「イエ<ローカル<ナショナル<グローバル」とさまざまです。
人口減少を見据えて、移民を受け入れる政策も提唱されるなど、より本質的に「グローバル」な環境をいかにしてつくるのか、また日本国土のグランドデザインをいかにして描くか、衰えていく自治体と力をつける自治体とにおける格差をはじめ、厳しさが増すこれからの世界を見据えていく、ある意味では「グローカルなまなざし」を併せ持った人々が増える、活躍することが期待されます。
大学経営における2018年問題
大学への進学者数は、戦後に一貫して伸びてきたのですが、2009年の50%の大台を越えたところがピークだったと言われており、2018年以降も進学率自体はこのまま大きく変わらないだろうとされています。
しかし、2018年から、18歳人口が減少していくことが指摘されています。
つまり、大学への進学”率”は大きくは変わらないが、進学者”数”は減少するため、大学経営の転換が必要になることが本格化するというわけです。
これを2018年問題と呼びます。
日本の18歳の人口が2018年頃から減り始め、大学進学者が減っていくこと。日本の18歳人口は、1992年の205万人から2009年の121万人へと激減したが、この時期、大学進学率が27%から50%に伸びたため、進学者は逆に増加した。09年以降の18歳人口は、ほぼ横ばいの状態が17年頃まで続くが、推計では18年以降減少に転じ、31年には104万人まで減る。大学進学者数については、進学率も伸びないと予測されるため人口減少分がそのまま影響し、18年の65万人から31年には48万人にまで落ち込むと見られている。14年時点で4割の私立大学が定員割れの状態にあり、18年以降は潰れる大学が、私立だけでなく地方国公立大学にまで及ぶと懸念されている。
2018年から今すぐに経営問題が多発するというわけではありませんが、5年後、10年後を見据えた適応を否が応でも求められる事態なのです。
こうした経営問題に関し、すでに統廃合を進める制度化の動きが進んでいます。
人口減少を見据えた大学改革は必要不可欠と言っていいですが、こうした改革に準じて、「教育」や「研究」の中身や大学教職員の現場における情報共有不足や認識の齟齬による対立を生む温床となり、「効率」と「競争」ばかりを口癖に、ひいては基礎研究を先細りさせ、まともな調査・分析を阻害するようになるのであれば、問題だと言わざるをえません。
大学院重点化政策や国立大学法人化をはじめ、反省なき変化は悔恨と腐敗をもたらします。
関係人口と偶然性のある出会い
大学改革に懸念があるとは言えど、人口が減少していくことは目に見えていることです。
昨今、3.11の歴史的な大災害があったことも相まって、「なんとかせねばならない!」と強い思いを抱えた人々が中心となり、「地方創生」という記号を旗印に活動が行われてきました。
地方自治体も、若者の流出を食い止めるためや、新たな定住者を呼び込むために、PR動画を活用したブランディングによる広報戦略が推進されてきました。
しかし、いくら注目を浴び、成功する自治体が出てきても、人口が増えるわけでもなく、すでに人の「奪い合い」という、これもまた競争原理が働いてしまっていることには注意する必要があります。
そこで、新たに提案されたのが「関係人口」という考えです。
下記の図で示しているように、移住・定住に至るまでの地域との関係性を段階的に捉えたもので、減少する人口を奪い合うのではなく、関係性を指標にして経済的なやり取りをもたらそうということを提示してくれる概念です。
今回のACADEMIC CAMPでも、実際に全国47都道府県をめぐり、イベントを開催するにあたり、一箇所に集めたのは、この「関係人口」という概念を提示することが一つの目論見としてありました。
ですが、関係人口というのはあくまでも「無関心から移住」に至るまでの関わりのプロセスを描いたもので、直接的に地域経済の問題を解決するようなものではありません。
クラウドファンディングをはじめとした評価経済社会において言えることは、あくまでも「人と人」の関わりにおける経済交流に焦点化されたものであり、都市工学的に取り組む公共事業や本格的なまちづくりには向きません。
関係人口をはじめとした取り組みはソフトなアプローチだと言えますが、実際のまちのリ・デザインや建物の利活用をするための法制度や資金の循環による地域住民の交流や経済の活性化といったハードなアプローチをも視野に入れる必要があるはずです。
課題は山積みですが、こうした「関係人口」の概念は、研究者コミュニティにも適応できるのではないかと思っています。
先程も言及したとおり、すべてがすべて「クラウドファンディング」といった寄付型のもので研究がまかなえるわけではないですが、人文社会科学の中でも地域社会との関わりを持つ分野は多くありますし、そうした研究者が媒介となって、ミクロな課題から、メゾな課題、そしてマクロな問題へと興味関心を持つきっかけとなったり、一概に公的なもので救いきれない<声>を誠実に拾うこともできると思うからです。
多分野に関わる大きな問題としても、学際的な交流のきっかけにもなりえるでしょう。
批評家であり哲学者の東浩紀さんは、2017年、『ゲンロン0 観光客の哲学』を著し、人文学が衰退する現代にオルタナティブな政治哲学の書として、人間の「理性と欲望の二層構造」や「偶然性」「家族の哲学的再考」を提示しました。
ACADEMIC CAMPでは、部分的に、「観光客の哲学」に影響を受け、実施した企画でもあります。
今後、「必然性」が否が応でももたらされる世界において、「偶然性」を紡ぐことがより重要になるのではないかと考えるからです。
経済構造の転換(第四次産業革命)と魔法の世紀
人口減少もさることながら、もう一つ根本的に進んでいるものに経済構造の転換があります。
冷戦体制から新資本主義と呼ばれる、修正型の経済原理が展開され、インターネットをはじめとした情報技術の発展とインフラの整備により、「経済」のあり方も変容するのではないかという期待の声が挙がっています。
その一つに、インターネットの次の革新になりうると呼ばれるブロックチェーン技術があります。
ざっくりいうと、ブロックチェーンとは、「大量に接続されたコンピューターを介して、データのやり取りをすべてオープンに記述し、信頼性を担保する技術」のことです。
例えば、仮想通貨もブロックチェーン技術を根本に持った仕組みで成り立っており、これまで国家をはじめとした中央集権的に管理されてきた貨幣通貨から、非中央集権的に管理を可能にする仮想通貨に転換できると期待されるわけです。
他にも、公共資料のやり取りをデジタルで行う「電子政府」にも適しているとして、社会実装の準備が進められています。
さらに、人工知能と掛け合わせた専門特価した高度なロボット工学の進展や、生命をも編集するバイオテクノロジーのめざましい発展があります。
こうした技術発展による産業の転換を総称して、第四次産業革命と呼ばれるようになってきました。
しかし、忘れてはならないのはこうした技術の進歩の前提にあるのは資本主義的な原理です。
一概に「資本主義、即、”悪”」ではありませんが、一国家においても世界的に見ても「貧困」の解決にはほど遠く、所得や資産の不平等を拡大させていることや、環境破壊や天然資源の搾取を促進する大きな要因であることにも、注意する必要があるはずです。
資本主義を前提として、より高度に情報技術を発展させる世界観である「魔法の世紀」と「デジタルネイチャー」を提示するのが落合陽一さんです。
デジタルネイチャーとは「現実と仮想」の区別がつかないような自然計算機が高度に発達する世界観を示すことばであり、魔法の世紀とは「ブラックボックス化」したテクノロジーの恩恵を享受する時代を指して用いられています。
下記の図で示されているように、「経済成長」とともに、絵画の世紀から映像の世紀、そして魔法の世紀にいたることで、より「個々人に最適化」された世界を実現しようと活動を展開されています。
しかし、「魔法の世紀」は資本主義的な世界観を前提としたもので、高度に発達したテクノロジーはより「ブラックボックス化」することを「まるで魔法のようだ」と感じることを指しており、それは裏を返せば「奴隷の世紀」でもあると落合さん自らも言及しています((「落合陽一『魔法の世紀』解説ニコ生番組 魔法使いの研究室Special vol.1」 【9/9】の「10:44」からを参照。))。
物事には「良い面」と「悪い面」が否が応でも生まれてしまうとすれば、いつまでも考えているだけでは「答え」は出ず、どこかで「決断」しなければなりません。
しかし、いずれにせよ”良い”判断を下すにも、「これまではどうだったのか」「今はどのようであるのか」を整理し、できればよりよい議論をするためにも情報の共有や情報を読み解く力を養うことが重要なのは言うまでもありません。
ここまで問題が差し迫ると、そもそもの「資本主義」や「民主政治」の土台をも見直す時期に来ているのかもしれません。
そうであっても、結局のところ、今の現状を鑑みるに、「学び合う」ことをいかに紡ぐことができるのかは依然とした問題です。
学び合いなき議論に、よりよい未来があるとも思えません。
そのためにも、一面的な主義主張を叫ぶのではなく、冷静に分析するまなざしを養いつつ、価値を問いかけ、判断していくことが重要でしょう。
まとめ
上記の論点提示は冒頭にも書いた通り、あくまで「大学×地域」をめぐる一整理でしかありません。
ACADEMIC CAMPを行った記録として、改めて言語化させました。
そのほか「学問」「教育」に関する現状認識は下記のリンクを参照ください。
- 大学×学問の現状認識―学問と社会をめぐる関係を考える
- 大学×地域の現状認識―経済構造の転換と人口減少社会を見据える
- 大学×教育の現状認識―歴史と社会的機能から意義を再考する