「哲学」と聞くとあの極端に小難しいことばが並んだまるで同じ言語とも思えないものを想像する人も多いのではないでしょうか。
しかし、それはちょっともったいない
哲学の捉え方かもしれません!
今回は少し今までとは違った目線で「哲学」を見ていきましょう!
結論―「広義の哲学≒愛智≒学問」
結論はズバリこの式の通りです!
もう今回はこれだけ分かってもらえれば十分!
ですが、頭に焼き付けて覚えたとしてもちょっと付け焼き刃的と言えるかもしれません。
どうしてそうなのかという理由と一緒に理解して覚えることで、それ以外に、またそれ以上に考える余地も生まれていきます。
というわけでその理由を順に追っていきましょう。
理由①狭義の哲学ではなく広義の哲学で捉える
冒頭で言った専門用語だらけの小難しい哲学。
実はそれは狭義の哲学であり、さらに言えば「哲学」というよりも「哲学学」の可能性が高いのです。
ですから、ここではまず狭義の哲学と広義の哲学を分けて考えていきましょう。では広義の哲学とはいったいどんなものなのでしょうか?
理由②にて説明する哲学の語源にそのヒントがあります。
理由②哲学の語源―”philosophy”≒「愛智」
日本語における「哲学」ということばは明治時代に西周という方が”philosophy”から翻訳して生まれたものでした。
では、その”philosophy”とはなにか?
これはギリシャ語が元になった英語です。
”philo”は「愛」を、”sophy”は「智」を意味していました。
つまり、哲学の語源である”philosophy”は「智を愛する→愛智」を意味しているというわけです!
[aside type=”normal””]「智」は「知」よりも「正しさ」や「頭脳の明晰さ」といったものを強調した漢字です。[/aside]理由③哲学と学問の共通点―知りたい・生み出したいという「探究心」!
ここまで、語源をたどると「哲学≒愛智」だということが分かりました。
しかし、なぜ「哲学≒愛智」がさらに大きな「学問」を表してもいると言えるのでしょか。
それは、学問の特徴でもある「真理の探求」が「哲学」においてもなによりも重要視されているからです。
古代ギリシャにおいては現代ほど学問というものが細かくカテゴリー分けされていませんでした。また当時、哲学の最初の出発点として始まった問いかけは「~ってなんだろう?」という純粋なものでした。この哲学的な、けれどとても素朴な問いかけから学問が始まったのです。
最初は俗にいう「教養=リベラルアーツ」と呼ばれる自由7科(文法学・修辞学・論理学・算術・幾何・天文学・音楽)だったものが、「真理の探求」を繰り返していくことで学問のカテゴリーが細分化されていきました。
しかし、共通していることがあります。
それはどの学問もあくまで「問」を設定し、それに対して「真理の探求」をしていくことにあります。
[colwrap] [col3][/col3] [col3][/col3] [col3][/col3] [/colwrap]ですから、「問」の設定によっては、別のことばに言い換えれば「前提」の違いによっては描かれる「真理」は異なってくることもあります。
ですが、「知りたい!新しいものを生み出したい!」という点、さらにそれをとことん「探求」することにおいてはどの学問も共通しているわけですね。
そういった意味で「智を愛する哲学」はすべての学問を含んでいるともいえるのです。
まとめ―哲学の意味とは愛智でありすべての学問でもある3つの理由
というわけで、「哲学≒愛智≒学問」という式が成り立つわけです。
なぜそう言えるのかという理由をもう一度まとめるとこんな感じです!
これが、哲学の意味は愛智でありすべての学問でもある3つの理由です。
その証拠に教育の最高位にある博士号を意味する「Ph.D.」は「Doctor of Philosophy」となっています。
ですから、博士号を持っている方々、つまり世にいるすべての大学教授の方々は広義の「哲学者」であったというわけですね!
ちょっと今までとは違った目線で「哲学」ということばを見直すきっかけになったのではないでしょうか?
それでは摩訶不思議な知の世界へようこそ…