大学の学びに正解がないわけじゃない2つの理由

「大学で勉強するのは研究をしていくためなんだ」ということを書いた記事と、ではその研究をする上で前提となる「学問ってなにをするためのものなんだ?」ということへの回答を書いた記事があります。

研究をしていくということは、基本的にはまだ誰も知り得たことのない知見を切り開く!ということなわけで、言ってみれば「未だ正解のない問」に挑戦していくということになりますよね。

実際、地球温暖化や貧困対策といったなかなか一概に答えを見いだせない問題が数多く指摘されているのが現状です。

では、大学での勉強に正解なんてないのでしょうか?

いや、そんなこともないと言える側面があるので、少し一緒に考えてみましょう。

記事のポイント!

  • 勉強は既知を学ぶことなのだから一定の正解はある
  • 「適切な」問を設定すれば一定の解は得られる

勉強は既知を学ぶためなのだから一定の正解はある

まず、大学に置ける勉強とはなんぞやということに関しては先程も述べた通り、「既知」を学ぶことが勉強なわけです。

ということは、「既に知られた知識」なわけですから、これまでのところは「だいたい or ほぼ当てはまってる」というように一定の正解、つまり答え方があります。

ここで、考えてみたいのが「どのようにして正解が作られたのか?」ということです!

適切な問を設定すれば解は与えられる

正解が生み出されるということはまずは「問」がありますよね。

研究を行うにも、まずは自分なりの「問」を設定することから始まります。

確かに、環境問題のようなそれぞれの立場によって異なる利害が働くものを考えるに当たって、「みんな」にとっての正解を導き出すというのは難しいわけです。

これは決して社会問題に限らず、自然科学においても「0.99999999…=1」とする場合と「0..99999999…≠1」とする場合があるのはよく知られていることだと思います。

こうやって見ていくと、一見、「大学での勉強には正解なんてないんじゃないかうわー!」なんて声が上がるのも頷けることでしょう…

ですが!だがしかし!

本当にそうなのでしょうか?

実際、学問とは言ってもすべてがすべてわかっているわけではありません。なんてたって「未知を切り開く」ために研究していくわけですから。

ですが、実際まだ明らかになってはいないけども、よーく観察したり実験したり比較したりしてみると、徐々にですが見えてくる「答え」が浮き彫りになってくるんです。

これらの「答え」を見出していくには、「適切な問」を設定することがとっても重要です。

あまりにも大きな問、例えば「人類みなが幸せに暮らすにはどうすればよいか?」というのはそう簡単には分からないですよね。

しかし、「幸せとはなにか」ということを、例えば感情に焦点を当てて見出していくとか(心理学)、ある社会にとっての平和の価値観を探っていく(社会学・人類学)ことはできます。

このように、知りたいことに合わせた「適切な問」を大きい問から小さい問にかけて設定することができれば、一定の正解は見出すことができるとは言えないでしょうか!

もっと気になるならようこそ哲学の世界へ…

[voice icon=”https://share-study.net/wp-content/uploads/2017/01/青筋アイコン.png” name=”怒り心頭” type=”l”]「いや、でも「0.9999999999999…=1」と「00.9999999999999…≠1」がどっちも正解なんておかしいだろ!」[/voice]

と思う方も中にはいるでしょう。

そんな方。ようこそ、哲学の世界へ…

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