まちづくりと人類学──文化現象・社会的行為としてのまちづくり

こんにちは。早川公です。前回の記事では、筑波山麓地域における「伝統」が学生ら若いよそものらにとって「逆に新しい」と評価される状況から、現代社会を駆動させる再帰性という概念を最後に紹介しました。

「まちづくり」や「地域づくり」、あるいは「地方創生((ここでいう「地方創生」は、世の中になんとなく流通する意味を前提として用いています。この用語は、本来的には現行政府が2014年に閣議決定した「まち・ひと・しごと創生総合戦略」に基づいて勧められた政策パッケージを意味するものです。))」というのは、「まち/地域」を再帰的に捉え返す視線を意味します。何がこの「まち/地域らしさ」で、何が大切で何がそうでないのか……こんなことを考えるのは当たり前と思うかもしれませんが、ある対象を意識し続けながら生きていく、というのは改めて考えると不思議な話です。事実、現在の「まちづくり」につながる戦後の地域開発計画では、ある時点まで「まち/地域らしさ」というのは全く考慮されておらず、「理想の世界」に向けた単線的な開発が進められていたのです。

誰もが、単一の価値観に基づいた未来像を思い描き、それを無条件で信じることができた時代のことを、フランスの哲学者リオタールは大きな物語と名付けました。そしてその「大きな物語」を純粋に信じられなくなった時代状況を「大きな物語の解体」と呼びました。「まちづくり」についても同様です。単一の価値観に基づいた未来像としての「まち」を信じられなくなったからこそ、それぞれの「まち」を模索するようになったとも言えます。

今回の記事では、そんな「まちづくり」はどのように研究されてきたのか、そして人類学から「まちづくり」を研究する可能性を考えてみたいと思います((補足をすると、ここで「人類学」といっている場合は、文化人類学を指しています。人類学には、人類の形質や遺伝を研究する自然人類学と、人間の文化や社会を研究する文化人類学の2つに大別されます。ぼくは後者を大学・大学院で学んできたため自然人類学について専門的なことは言えませんが、前者については山極寿一と尾本圭一による対談をまとめた本『日本の人類学』(2007、ちくま新書)が導入としておすすめです。))。

はやかわこう

国内の「まちづくり」現象を対象に、人類学的方法や知見を社会に応用化することを使命に研究〜実践しています。フィールドは、茨城県つくば市、宮崎県世界農業遺産地域、福井県越前市です。

「まちづくり」とは何か

「まちづくり」は、日本における地域開発の諸形態を広く指す用語です。この用語は、都市計画研究者の内海麻利によれば、1952年の雑誌『都市問題』に都市自治実現のための「新しい町つくり」として初めて登場したものです。その背景には、戦後の大都市への急激な人口集中と産業基盤の整備を優先する高度経済成長の中で、劣悪な住環境、進行する環境破壊ならびに公害問題など、一般市民の生活が脅かされる事態が生じたことがあると言われます((内海麻利(2008)「まちづくり制度に見る住民参加の新しいかたち」大森ら[編]『実践まちづくり読本―自立の心・協働の仕掛け』公職研、p.256より。))。

またその後、「まちづくり」に類する用語として、地域づくり、村づくり(村おこし)、地域活性化、地域再生、地方創生などが生まれました。さらに、その中身も都市計画から福祉政策、地方自治、中心市街地(商店街)活性化、コミュニティ(共同体)の見直し等の市民活動といった広範な領域を含んでいます。そして、建築学や社会工学、政策学、社会学といった複数の学問領域が「まちづくり」研究を担ってきました。

「まちづくり」研究の4つの発想

上に挙げたように、「まちづくり」は広範な領域を含みます。そのため、「まちづくり活動に取り組んでいます」や「まちづくり研究をしています」といっても、片方が都市計画策定で片方が市民活動の推進を意味していることも珍しくありません。ここでは、先行研究((ここでは、西村清彦監修、御園[ら編](2007)『地域再生システム論―「現場からの政策決定」時代へ』(東京大学出版会)と、大森[ら編](2008)『実践まちづくり読本―自立の心・協働の仕掛け』(公職研)の論考を参考にしました。))に基づいて、現代の「まちづくり」研究を担う4つの発想を簡単に追いたいと思います。

①公共事業からの発想

この発想は、「まちづくり」を官が主導する国土開発や都市開発として扱うものです。そこでは道路や公園のみならず、ダム、原子力発電所、自衛隊基地等の大規模なハード事業も「まちづくり」の一環とみなされます。そして、この研究は、主に都市計画論的なアプローチからおこなわれてきました。

②地方自治からの発想

第2の発想は、「まちづくり」を「地方自治」の観点から捉えようとするものです。その問題関心は、国と地方自治体、あるいは市民が公共の利益に向けてその任務をいかに担うべきか、という点にあります。この立場は、主に行政制度、とりわけバブル崩壊以降に地方分権を志向してきた国家による一連の行政改革と関連法案についての検証に焦点が当てられます。

③居住環境からの発想

この発想は、都市計画のなかでも居住環境、すなわち住まいの延長線上に集まって暮らす舞台として「まち」を位置づけ、居住環境の改善を主なテーマとするものです。それは、①の発想のような、大規模で計画的な上からの都市計画とは異なり、そこに住む人びとからの(下からの)発想であるとも言われます。この発想のアプローチには、①と重なる都市計画論的なものと参加する主体(人や組織)を対象にしたものがあります。

④地域再生からの発想

この発想では、都市化の反動として顕在化した地域社会の衰退に端を発するもので、過疎化や高齢化に代表される社会課題に対し、かつての活力を地域社会がいかに取り戻すかをテーマとしています。近年では、過疎の農山漁村のみならず、「シャッター通り商店街」と称される都市部中心市街地の空洞化対策においてもこの発想が普及しています。また、「事業再生」と対比させ、主に経営学や経営的視点からおこなわれる「稼げるまちづくり論」もここに列するものでしょう。

その他の研究の流れ

「まちづくり」研究と重なる領域として、社会運動論があります。「まちづくり」の源流の一つには、一方的に進む地域開発の負の影響への対抗運動的な流れも存在します。社会運動論については社会学に蓄積があります。こうした点に着目してみるのもいいかもしれません。

以上、先行研究から便宜的に分類してみましたが、これらをみてわかるとおり「まちづくり」にも様々な方法があります。一方で、「この方法を採らないとまちづくり研究とは言えない」というものもないことが、「まちづくり」を研究する面白みでもあり複雑にしていることでもあります。

「まちづくり」を人類学的に研究するとは?

それでは、ぼくのように「まちづくり」を人類学的に研究する場合、上記の4つの発想のどれに連なるのでしょうか。答えは、どれでもないということになります。研究開始時点の発想としては④に近いものですが、フィールドワークを進めながら先行研究を追いかけていくうちに、見えてきたことがあります。それは、まちづくりは、それ自体が文化現象であり、さらに当人たちがそのまち/地域の文化を意識し、捉え返し、発信していく社会的行為だということです。

地域開発を通じて、《つくば》という空間ができてきたこと(第1回・第2回)も、北条地区の文化を「逆に新しい」と発信していったこと(第3回)も、まさにそうした問題意識からまとめたものになります。翻っていうと、これまでの発想が「まちづくり」を特定の課題として設定し、それに対して分析をしたり解決策を構想したりしてきたのに対し、人類学的なスタンスは「まちづくり」を社会と個人の相互作用による総体的(holistic)なものとして理解することを試みた、と言えます。さらに言えば、「まちづくり」等現象と、それに関わる人びとに漂う世界観(cosmology)をすくい取れないか、ということです。

さまざまな領域に適用される人類学的研究

大学の初年次あたりに一般教養で文化人類学を習った人は、上のぼくの説明に対して「人類学は少数民族の村に住み込んで、異文化を研究する学問のことでしょ?」と違和感を覚えるかもしれません。また、その考えを理解できたとしても「それがまちづくりの何に役立つの?」と思うかもしれません。

1つ目の疑問についてまず回答すると、それは間違いではありませんし、今も文化人類学の意義はそこにあります。ですが、住み込んで(フィールドワークをして)そこいる人びとや社会を理解する、というのは今やわかりやすい「異文化」に限らず、現代社会に存在する特定の集団や環境を「異文化」と見立てて研究する人類学もあるのです。学校、病院、会社、葬儀屋、性風俗業、リーマンショック…対象はいくらでも存在します。もし興味があれば、「人類学」や「エスノグラフィ」などでググると、様々な「異文化」を対象にした本が出てくると思います。

そして2つ目の「それが何の役に立つか」という問いですが、これは(自分で立てておいて何ですが)非常に回答が難しいです。ですが、暫定的な回答を言えば「すぐには役に立たないけれど、長く付き合えばとても役に立つ」となるでしょうか。こういう曖昧な言い方をするのは、ぼくの専門と考える応用人類学という分野では、「すぐに役に立つ」方法もそれはそれで開発・発明されているのです((例えば、近年、ビジネスで注目されるデザイン思考(design thinking)という方法論には、人類学の学問的特徴である参与観察やインタビューが主要な方法として組み込まれています。実際に、デザイン思考の創始者とも言えるケリーは「人類学は人類学者に任せておくには重要すぎる」という言葉を著書『クリエイティブ・マインドセット』で紹介しています。))。ただし、それが上にあげた「物事を総体的にみる」という人類学のスタンスと照らし合わせる時に、まだまだ検討することがあるなというのが現状のぼくの考えです((「役に立つ」という立場を確立するのことは、つまり「専門家」としての役割を担うことです。あらゆる事業において専門家は必要ですが、いわゆる専門家とは違うあり方が人類学にはできるのではないか、という考えがあります。この点は、次回記事にも重なる部分かと思います。))。

しかし、検討中とはいえ、「まちづくり」に向き合う際に他の学問と違う関わりの仕方があるのだとすれば、それはどういうものがありうるのか、は示す必要があるでしょう。というわけで、次回(最終回)では、ぼくなりの「まちづくりにおける人類学的実践」のかたちを示してみようと思います。

まちづくりと人類学的実践―毎日フィールドワークのすすめ

まちづくりのエスノグラフィ――《つくば》を織り合わせる人類学的実践
早川公、2018年12月19日、春風社