クオリアとは何か?―心の哲学/哲学的ゾンビ/ロボットの哲学

私たちは日々、いろいろな感覚を受け取りながら生きています。

  • 真冬に外出する時の身を切るような「寒い感じ」
  • 梅干を食べたときの「すっぱい感じ」
  • 赤ちゃんを見たときの「愛おしいという感じ」

など、数えだしたらきりがありません。

このような感覚を直接捉えることができるのは、その本人だけです。ケーキのおいしさを、その横で見ている人が同じように感じることはできませんよね。このように、私たちが何かを見たり聞いたりしたときに生じる、主観的で経験に特有の「質的特徴」(「寒い感じ」「すっぱい感じ」など)をクオリアと呼びます1より詳しい定義については金杉(2007)の2章を参照してください。

クオリアは、哲学(心の哲学)の中で生まれた概念です。ですが今では脳科学や心理学、更には人工知能など、さまざまな学問領域で問題を提起しています。ここでは、クオリアの解説にはじまり、脳科学やロボットといったいわゆる「理系」の分野との関連まで大まかに見てみましょう!

脳科学はクオリアをどのように説明するのか

哲学的な議論に入る前に、前提として脳科学によるクオリアの説明の例を1つ見てみましょう。

脳科学をはじめとした科学の世界では、すべての現象は物理学的に説明できると考えることが普通です。つまり、物質の働きかけの組み合わせとしてあらゆる出来事を説明できる、と考えます。ここでは、クオリアなどの心の現象も物理現象の結果だと考えます。このとき、「リンゴの赤さ」のクオリアは次のように説明されます。

  1. リンゴにあたった光が跳ね返り、眼に刺激を与える。
  2. 刺激を受けた眼から神経を通って電気信号が伝わり、脳に至る。
  3. 脳の「赤色」に対応している部分に神経からの電気信号が伝わる2厳密には、眼の細胞の時点ですでに色の区別が行われています(色ごとに対応する細胞がある)。ですが、私たちの直感では、眼は「心」とつながっていないように思われます。この直感に従うならば、色のクオリアは脳で生じると考えるほうが自然です。
  4. リンゴの赤さを感じとる。

この説明は理にかなっているように見えますよね。しかし、哲学の側からすると様々な疑念の余地が残っていると考えられるのです!

クオリアの提起する問題:ゾンビと動物の心

脳科学によるクオリアの説明は「光の刺激→脳の特定の部分に信号→赤のクオリア」という、一連の因果関係によって成立しています3このような因果関係のまとまりを「因果的機能」と呼びます。詳しくは信原編(2017))Ⅰ-8「機能主義」が参考になります。。しかし、冒頭でも述べた通り、ある人にクオリアが生じているというのは、その本人にしか分からないことです。ですから、もしその人に実は何のクオリアが生じていなかったとしても、私たちはそれを確かめるすべがありません。

「実は何も感じていませんでした!」という、いわば心の無い存在が居るかもしれない、という可能性を否定しきれないのです!このように、クオリアが一切生じていない存在を(哲学的)ゾンビと呼びます4このような論証は「想定可能性論法」と呼ばれます。この詳細および批判については金杉(2007)の2章にまとまっています。

「誰でも、まぶしい光を見れば思わず目を伏せる。これはまぶしさのクオリアが生じたからだ。だから誰にでもクオリアは生じている」と考える人がいるかもしれません。けれど、クオリアが生じていなくても、目を伏せることはできるはずです。「光の刺激→脳のある部分に信号→目を伏せる」という因果関係はクオリア無しで成立しうるのです。そのため、刺激と行動の組み合わせによる因果関係を根拠にゾンビの存在を否定することは難しいと言えます。

また脳科学による説明は、クオリアを感じるための「脳のとある部分」が不可欠です。ですから、もしも脳の構造を共有していなければ同じクオリアが生じることはないのです。

しかし私たちは、人間とは明らかに脳の仕組みの違う動物にもクオリアを認めているように思えます。例えば、飼っている犬や猫といった動物に対して「食べ物をおいしいと感じる」「けがで痛みを感じる」と考えたりしますよね。この日常的な直感が正しいとするなら、脳科学の説明はどこかしら間違っているということになってしまうんです!

ロボットは心を持てるか?

動物のクオリアに関する問題は「人間に近い存在のクオリア」に関するトピックでした。このように考えると、これはロボットの問題にもつながります。

人間とそっくり同じ構造のロボットを作ることができたとしましょう。そのロボットは人間と同じようにものを見て、音を聞いて、冷たさや硬さを肌のセンサーで感じ取ることができます。脳も、人間の脳とまったく同じ構造をしています。ただ、人工の材料でできているというほかに違いはありません。

このとき、このロボットには人間と同じようなクオリアが生じるでしょうか?

生じるにしても、生じないにしても、その理由を探る中でクオリアをより深く知るためのヒントが得られるかもしれません。実際に、大阪大学の石黒浩さんは、ロボットを通して人間(の心)に迫るような研究を行っています!

人工知能の進展が目まぐるしい現在においては、ロボットの心もまた哲学のトピックとなっているのです。

まとめ

クオリアは、その時々の経験に伴って生じる「~という感じ」といった感覚の質を指します。脳科学はクオリアを説明しているようにも見えますが、ゾンビの存在や動物・ロボットの心について課題を残しています。

このように、クオリアをはじめとする心の哲学の議論の多くは、私たちの常識や(自然)科学の知、更にはそのあり方にまで疑問を投げかけていくものでもあります。そうした中で、文系/理系の垣根を超えた、柔軟な視点の大切さも感じられるのではないでしょうか。

参考文献紹介

主に参考にした文献です。特に「心の哲学入門」はクオリアをはじめとする心の哲学に関する入門書です。さらに学びたい人のための文献リストも完備した、初心者にもやさしい1冊です。興味のある方はぜひ読んでみてください!

心の哲学入門
金杉武司、2007年8月24日、勁草書房
心の哲学: 新時代の心の科学をめぐる哲学の問い
信原幸弘、2017年7月7日、新曜社
ロボットの心-7つの哲学物語
柴田正良、2001年12月2日、講談社

Footnotes

Footnotes
1 より詳しい定義については金杉(2007)の2章を参照してください。
2 厳密には、眼の細胞の時点ですでに色の区別が行われています(色ごとに対応する細胞がある)。ですが、私たちの直感では、眼は「心」とつながっていないように思われます。この直感に従うならば、色のクオリアは脳で生じると考えるほうが自然です。
3 このような因果関係のまとまりを「因果的機能」と呼びます。詳しくは信原編(2017))Ⅰ-8「機能主義」が参考になります。
4 このような論証は「想定可能性論法」と呼ばれます。この詳細および批判については金杉(2007)の2章にまとまっています。


スポンサードリンク


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Writer