宗教の生きる現場ー「臨床」への宗教学の挑戦

皆さんは生きるうえで、また何か大きなことをする上で、支えとなっているものはありますか?

親や祖父母、親戚、兄弟、友達、はたまたペット……他者との「つながり」「絆」を持たずに生きている人はいないでしょう。また、過去の自分の成し遂げたことや、得意に思っていることなど、自分への「誇り」「自信」が支えという人もいるでしょう。憧れの偉人やフィクションのスーパーヒーローが支えだという人もいるのではないでしょうか。受験の時には、地元の神社で買ったお守りを肌身離さず持っていたという人も少なくないと思います。

私たちは生きる上で、何らかの支えを必要とします。それはご飯を作ってもらう、手伝ってもらうなどの直接的な支援だけではありません。自分が自分として元気に生きていくために、私たちはときに「間接的な支援」を必要とします。この「間接的な支援」とは具体的にはいったい何なのか、そしてそれを探し求めることをサポートしている人たちについて、今日はお話していきたいと思います。

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スピリチュアルな探求

この「間接的な支援」は「スピリチュアルな探求」と呼ばれています。私たちは日常生活においてスピリチュアルな探求をしています。

例を挙げるとすれば、受験期のお守りです。受験という一大行事を乗り越えるため、お守りを持っていた人は多いと思うと言いましたが、そのときにあなたは握りしめたお守りに何を思いましたか? それは買った場所の神仏だろうと、買ってくれたおばあちゃんだろうと、必死に勉強した過去の自分だろうと、なんでも構いません。あなたはそのとき、「その場にはない何かにつながりを見出すことで支えにし、受験を乗り切ろうとした」のです。これが「スピリチュアルな探求」です。もちろんその場にはありませんので、目にも見えませんし、私たちに何かを直接してくれているわけでもありません。ですので「間接的な支援」というわけです。

谷山(2008)は、つながりを求める先はこれら8つのものに分類することができるといいます。

①「人」 家族 友達 恋人 その他大事な人物(ペットも含む)
②「去」 過去の自分 人生の結果 成し遂げたこと
③「今」 本当の自分 もうひとりの自分
④「来」 未来の自分 人生の課題 死後の世界への希望や不安
⑤「事」 環境 芸術(音楽、小説、アニメ…) 大切な物事 生きがい
⑥「理」 ものごとのことわり 真理 宇宙 思想 座右の銘 ハイヤーパワー
⑦「神」 神仏 超越者 天国や地獄の存在 信仰
⑧「祖」 祖先 偉人 物故者 スーパーヒーロー

(谷山洋三, 2008 『仏教とスピリチュアルケア』, p.p.24-27)

私たちは日々これだけの種類の目に見えないものに支えてもらいながら生きています。その場にないものでも支えになれるなんて、面白いですよね。

スピリチュアルって?

日本でスピリチュアルという言葉を耳にするとき、それは何か超能力だとか神秘的な力だとかそういうものに関することが多いように思います。ちなみに下の画像は、おなじみ『いらすとや』で「スピリチュアル」で検索をかけたときに出てくる絵です。

スピリチュアルって元々どんな言葉だったのか、英英辞典を使って確認してみましょう。

「Spir・it・ual (adj.)
1. connected with the human spirit, rather than the body or physical things ⇔opp. material
2. connected with religion」
(1. 体や身体部分というよりもむしろ、人間の精神に関するに関するもの⇔対義語:物質的
2. 宗教に関するもの)
(Oxford Advanced Learner’s Dictionary of current English, 2010, 第8版, P1487L, 筆者訳)

魂や宗教に関連した単語のようです。では魂、spiritとは何でしょうか?

「Spirit (noun)
1. [U, C] the part of a person that includes their mind, feelings and character rather than their body
2. [pl.] a person’s feelings or state of mind
3. [C] (always with an adj.) a person of the type mentioned
4. [U] courage, determination or energy
5. [U, sing.] loyal feelings towards a group, teams or society
6. [sing.] a state of mind or mood; an attitude
7. [sing.] the typical or most important quality or mood of sth
8. [U] the real or intended meaning or purpose of sth
9. [C] the soul thought of as separate from the body and believed to live on after death
10. [C] (old-fashioned) an imaginary creature with magic powers (omit)」

1.人間の身体ではなく、心や感情、性質などを含む人間の一部
2.人間のもろもろの感情や、精神状態
3.(形容詞を伴って)その人の性質
4.勇気や決意、熱意
5.団体、組織、社会に対する忠誠を誓う気持ち
6.精神や気分の状態;態度
7.何らかのものに典型的であったり最も重要であったりするような性質や雰囲気
8.真実であったり意図されていたりするような意味、意義
9.身体とは別物で、死後も生き続けると信じられている霊魂
10.(古)魔力を持つとされる想像上の生物)

(Oxford Advanced Learner’s Dictionary of current English, P1486R. 筆者訳)

なんとなくお判りでしょうか。ただ単純に「spirit=魂」とは言えなさそうですよね。簡潔にまとめるとすれば「心や感情、思い、性質など、人間やものごとにおける、物質的な意味では目に見えない部分」ってとこでしょうか。私たちは健康に生きるのに、そういう目に見えないものからの支えも必要としているのです。

ホスピスとスピリチュアルケア

このような「スピリチュアルな探求」はもともとホスピスにおける概念でした。ホスピスでは終末期医療を受けている人が滞在しているので、人生の最期に衰えていく自分や、残された時間、やり残したこと、死後の自分について考えるなかで、支えを見失ってしまい、苦痛が生じるような場面が多いということがあります。このように、スピリチュアルな探求の中で生じる苦痛は「スピリチュアルペイン」と呼ばれており、ホスピスの他にも震災や自死、事故死などの場合にも発生しやすいです。これは死者本人に限った話ではなくて、その人の周囲の人、家族や友人にも発生しうるものです。病気や老衰で徐々に死に向かっていく人もいれば、急病や事故で急に亡くなることもあります。震災や自死などで、お別れを言う暇もないままに手の届かないところに行ってしまうこともありましょう。身の回りの環境が突然有無も言わさずに変わってしまうような大きな出来事を乗り越えるのには、苦痛が伴うことが多いのです。

そんなスピリチュアルペインに対するケアをスピリチュアルケアといいますが、それを今多くの現場で担っているのが「臨床宗教師」です。

臨床宗教師

もともとホスピスは英語圏、すなわちキリスト教文化圏で生まれたものでした。そこには「チャプレン」というスピリチュアルケアを担う人物がいたのですが、ホスピスを日本に輸入するにあたり、キリスト教のそれに代わる何かが必要ではないかという声が多くあがり、できたのが「ビハーラ僧」です。日本版チャプレンのようなもので、主にホスピスで活躍しています。他にもキリスト教系病院でもチャプレンが活動していましたし、日本のあちこちでそういう「公共空間で活躍する宗教師」が増え始めました。

その中で宗教の垣根を超えた活動をする人がちらほらと増え始めていた頃の2011年、3月11日のことです。東北でかの大震災が発生しました。この未曽有の事態を受けて、東北大学を拠点に「臨床宗教師」が誕生したのです。「心の相談室」というものを被災者向けに開きました。東北大学は宗教に中立な国立の大学ですので、さまざまな宗教師が集まってInterfaith、超宗教的な活動をするのにはお寺や教会よりももってこいでした。

意外に思われるかもしれませんが、臨床宗教師は求められない限りは宗教的行為や布教活動をすることは一切ありません。なぜなら彼らの目的はあくまで支援であり、布教ではないからです。宗教の垣根は飛び越えて、僧侶も神父も牧師も、いろんな宗教的背景を持った人たちを対象にした傾聴活動を行います。

「え、お経読まないなら、祈りを捧げないなら、宗教者である必要はないのでは?」

そう思う人もいると思います。ところが実は大ありなんです。傾聴活動って実はすごく疲れるもので、「自分を保つ」「相手の痛みに引っ張られすぎない(一緒に病むだけの存在にならない)」ということがすごく難しい行為なんです。その点宗教者はある程度最初から宗教の信仰により安定していますので、傾聴には向いているのです。

また、こういう例もあります。

「女房には生前迷惑をかけてしまったから、死んで(あの世で)合わせる顔がない……」
「家でばあちゃんが待っていたのに、私だけ(津波から)逃げて助かってしまった。ばあちゃんは怒っているに違いない」

このようにスピリチュアルペインには時折非合理的なものである死者の存在(自分、友達、家族……)が含まれます。その場合、臨床心理士やカウンセラーには限界があるときがあります。あの世や霊魂などの非合理的なものは、合理的な彼らの得意分野ではないからです。私達はときに非合理的な解釈を必要としますので、そのようなときには臨床心理士などよりは臨床宗教師の方が適している場合も多々あるのです。

また、極限につらい状況に陥ったとき、自力で乗り越えることは難しいと感じ、宗教者と会ってお話したい、お祈りがしたい、宗教について知りたい、などと人間を超越した存在に頼りたいと思う人は少なくないようです。そのようなとき、臨床宗教師であれば独自のネットワークを使い、イスラム教から神道、果ては天理教まで、病床や被災地で思うように動けない人のために宗教者を連れてきてあげたり、望まれた宗教的儀式を施してあげたりすることができるのが魅力といえます。

このように臨床宗教師が必要になる場面もあれば、もちろん臨床心理士が適切な場面もあるでしょう。しかし、臨床心理士には難しい範囲のケアを補うことができるのが臨床宗教師なのです。

東日本大震災を契機に東北大学で生まれた臨床宗教師ですが、現在は移動式傾聴カフェ「Cafe de Monk」が全国各地で開かれるなど、県境を飛び越えて日本各地で活躍しています。

まとめ

私たちは目に見えないものからの支えを生きるために必要としています。そういった支えをときに見失ってしまうことがありますが、そんなときに寄り添い一緒に支えを探してくれるのが臨床宗教師です。彼らは私たちに寄り添い、一緒に支えを見つけてくれます。

しかし依然課題はあります。それは、認知度が低く「宗教者だわ……」「布教されてしまう」と敬遠され、サポート活動をさせてもらえないことがある、ということです。臨床宗教師は布教を目的としていません。もしあなたの街に臨床宗教師が訪れるようなことがあれば、怖がらないで是非お気軽にお話を聞かせに来てください。

最後に

この記事は谷山洋三(2017)の『医療者と宗教者のためのスピリチュアルケア 臨床宗教師の視点から』と、柴田実・深谷美枝(2011)の『病院チャプレンによるスピリチュアルケア 宗教専門職の語りから学ぶ臨床実践』、東北大学文学部の授業を参考にして書かれています。

私が参考にした授業は、希望すれば誰でも受講可能です。興味のある方はぜひ受けてみてください!

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