筑波大学「哲つくば」の取り組みと成果―知的頭でっかちにならないために

みなさまはじめまして、ふみやです。私は今、筑波大学で哲学を専攻しています。

この記事では、私が大学で少々関わらせてもらっている「哲つくば」についてと、それに伴って考えたことについて語りたいと思います。

ADVENT CALENDAR 2018―4日の投稿

12月1日から24日までクリスマスを待つまでに1日に1つカレンダーを空けるという風習に習って、記事を投稿するイベント、それがADVENT CALENDAR!

哲つくばとは

哲つくばとは今年度から始まった学生による自主発表会です。ロング20分、ショート3分で各々が自分の専門分野や興味分野を好きなように語るという催し物で、Twitterのハッシュタグ「#哲つくば」を利用してリアルタイムに聴講者の反応が見えるのが特徴です。はじめは哲学主専攻の面々がお互いの専門を語る会でしたが、回を重ねるごとに他専攻・他学類からの登壇者や聴講者が増え、先月行われた第三回は新しくディスカッション企画を設けるなど規模も大きくなっています。また、哲つくばに倣って歴つくばや言つくば、はては数つくばや物つくばなど他の学問分野においてもどうようのイベントが開催されるようになっています。

成功ポイント①―哲学主専攻の中で人の繋がり

私は、このイベントは3つの点で成功していると思います。1つ目は、哲学主専攻の中で人の繋がりができた点です。人文学類は一学年に約120人が在籍し、それぞれが4専攻17コースに分かれます。人文学類では必修の授業がそれほど多くなく、また専攻・コースによって授業で扱う領域がかなり異なるため、履修する授業が被ることがあまり多くありません。そのため、同じ人文学類生であっても専攻が違えば全く面識がないこともザラで、同じ専攻内でも専門する領域が違えばお互いのことを知らないこともあります。特に私が所属している哲学主専攻は、専攻やコース、ゼミごとのイベントなどがないため、縦も横もつながりが希薄でした。かくいう私も1,2年生の頃は哲学主専攻に進む人を殆ど知らず、同じ授業を履修するごく少数の人とだけ面識がある程度でした。現在は、哲つくばを通して同専攻の後輩と多数知り合うことができ、頻繁に交流する事ができるような雰囲気ができています。今年度から始まったイベントですのでまだまだ学類全体に知れ渡っているとは言い難いですが、この流れを継続できれば人文学類に限らずかなり広く交流の輪を広げることができるのではないかと思っています。

成功ポイント②―アウトプット機会の確保

2つ目は、各人がかなり早い段階からアウトプットを行えるようになった点です。大学の授業などを通してある程度のインプットを行えば、誰でも多少は自分なりの考えを持つものだと思います。しかし、これまではそれをアウトプットする場がほとんどなかったと言っていいでしょう。授業での発表やレポートなどは、ほとんどの場合テーマが与えられていますし、そうでなくとも授業内容に関連させなければならないことが多いです。また、レポートは先生だけしか見ず、詳細なリアクションが帰ってこない場合もあります。そうすると、自分の考えをほとんど表に出したことがないままに卒論を迎えることということが起こりえます。そういった状況も哲つくばの存在で多少改善されていると思います。頭のなかで考えることと、それを実際他人に向けて発することは大きく違います。さらに、それが複数人の目に晒され、リアクションを与えられるというのは貴重な機会ではないでしょうか。そうした場において何度も自分の考えを人に伝え、修正することでより深めていけるものだと思います。

成功ポイント③―大学1,2年生による早期な専門的学習

3つ目は、1,2年生が早くから専門的な話に触れることができる点です。1つ目の成功点のところでも述べましたが、哲学主専攻は縦のつながりが希薄でした。当然、自分たちの先輩がどういう研究をしているのか知る由もありません。また、1年生が受ける授業のほとんどは概論などであり、特定の内容に特化した話を聞くことができるのは2年生以降、中には3年生以降にゼミで、ということになるでしょう。そうなると卒論までに自分の興味が固まらないということもありえます。実際、現3年生にも卒論で何を書こうか思いつかないという人もいます。しかし、哲つくばなどのイベントを通して専門的な話に触れることで早くから自分自身の興味分野を見つけるためのキッカケを得られるのではないかと思います。

以上、哲つくばの成功したと思われる点を述べてきたのですが、それと同時に弊害というべきか、少し気になる事ができたのです。それについては次項で語ります。

問:知的頭でっかちになっていないか

哲つくばの弊害は、一言で言うと聴講側が知識をただ得るだけで自分で考えていないのではないだろうかということです。勝手な造語ですが、こういう人のことを「知的頭でっかち」とでも呼ぶことにします。

そもそも哲学という学問において、知識はあくまで副産物です。この学問において最も重要なのは自ら考えることです。知識を得ただけでは何も意味が無いことはソクラテスの時代から言われていることです。ソクラテスは、ソフィストと対話を繰り広げることで彼らに自らの無知を知らしめました。よくある誤解ですが、ソフィストたちは何も知らなかったわけではなく、むしろ当時の一流の知識階級です。彼らの無知は、正しい仕方でものを知らなかったという意味での無知です。偏に自ら考えてなかったからそうなってしまったということでしょう。人類最初の知的頭でっかちはソフィストたちだったのかもしれません。ソクラテスが対話を通して知的頭でっかちなソフィストたちに無知を自覚するように促したのは、そうすることによって互いに考えようとしたからでしょう。

なぜ哲つくばによって知的頭でっかちが生まれたと感じたのかというと、第二回以降の哲つくばの発表にそういう傾向が見て取れたからです。最初に説明したとおり、哲つくばの目的は自分の専門分野・興味分野を語るというところにあります。つまりあくまで自分で考えたことがベースにあり、哲つくばでの発表はそれをアウトプットするための機会の一つでしかありません。しかし、思いの外第一回が成功したからか、哲つくばで発表すること自体が目的と化している事例がチラホラと見えました。そうした人は大抵の場合、「○○とは何か」ということについて知っている知識をただ述べるに留まっているように感じました。別に哲つくばに限らない話ではありますが、哲つくばの持つわかりやすさと気軽さはそうした事例を引き起こしやすいように思います。

では知的頭でっかちにならないためにはどのようにすればよいかと言えば、偏に自分なりの問いを持つことだと思います。哲学の黎明期から哲学者は常に何らかの問いを抱えて思考してきました。「この世界の根源は何か」「私とは何か」など、それぞれの問いは真に問わねばならないとそれぞれが思った問いでしょう。そうした自分なりの問いがあったからこそ自分なりの思考を展開できたのでしょうし、またそこで生まれた知識が次の思考のための十分な材料になったでしょう。

先人に習うのであれば、私たちは問いを持たなければなりません。それは本当にどんな問いでもいいと思います。大事なのは自分なりの問いであること、そしてその問いにいかに答えていくかということです。それが思考や知識、はては自分自身の芯となるでしょう。

ADVENT CALENDARとは、12月1日から24日までクリスマスを待つまでに1日に1つカレンダーを空けるという風習に習って、記事を投稿するイベントとなります。2018年、Share Study初開催!種々雑多な方々による記事、お楽しみください!


ABOUTこの記事をかいた人

Share Study編集部

Share Study編集部。あそび、ゆらぎ、むすび、「学び合う文化」をつくっています。