まずは価値のない失敗を恐れようー 外国語学部生による失敗だらけの留学

[box class=”blue_box” title=”この記事の概要”]自分自身を強制的に留学させた筆者は、案の定数多くの失敗を経験します。ホームシックになり、鬱になり、編入試験の落第を経験しましたが、そこから多くの学びを得ました。最大の学びは「失敗を避けて何もしないことこそが本当の失敗である」ということでした。[/box]

どうも、平岡裕資(@hyusuke59)です。僕は、関西大学外国語教育学研究科で翻訳研究をしている大学院生です。

大学院に進学する前は同大学の外国語学部にいました。今回の記事では同学部で経験したオーストラリア留学について、そしてその失敗について綴ってゆきます。

ゆうすけ

Share Study編集部。機械翻訳を代表するIT技術が翻訳のあり方を変えつつあります。そのような拡張された時代において見えてくる言葉の本質を探求しています。「あそび」としての学問を目指しつつ、謙虚に生きていきたいです。

なぜ留学したのか?

そもそもなぜ留学をしたのか。理由は簡単です。卒業するには留学経験が必須だったからです。より正確にいうと、1年間のStudy Abroadプログラムと呼ばれる留学プログラムが必修の科目でした。

もちろん、留学プログラムがあることを入学前に知らなかったわけではありません。むしろ、それがこの学部を選んだ理由でした。

中学、高校と英語が得意だった(と思い込んでいた)僕は翻訳者になることを目指していました。そのためにはより高度な英語力が必要であると感じ、「一番の近道は留学だ!」と感じていたのでしょう。

そして何よりも、何かに背中を押されなければ小心者の自分が行動することはないことを知っていました。母語が一切通じない異世界へ入り込むことに異様に高いハードルが、当時の僕にはあったのです。

留学なんてしたくない!

周りの友人たちは留学ができることにウキウキしていました。多言語や異文化に興味がある学生ばかりで、一年間の海外生活を楽しみにしていたのです。僕もそのうちの一人でした。

しかし、少しづつ期日が近づき、準備を進め、自分が留学することを実感していくうちに、留学が段々と嫌になってきました

周りの友人、家族、恋人のもとを離れ、日本語が全く通じない世界に一年間もいると考えた途端に、本当にちゃんとやっていけるのだろうか、と怖くなってきたのです。

そして、周りがワクワクしているのに、行きたくないと思う自分は本当にダメなやつだ、小心者だと落ち込むこともありました。来る学部を間違えたと真剣に思ったりもしました。

一方で、留学経験が自分にとって必要であることもわかっていました。高い英語力と異文化にどっぷり浸かる経験は、翻訳者を目指すのにほぼ必要不可欠であることを知っていたのです。

「行きたくない」気持ちと「行かなければいけない」気持ち、相反する二つの思いが自分の中でぐるぐる回りました。

ホームシックと慣れない環境

留学プログラムは二年次のおよそ1年間。渡航先は日本と季節が反対のオーストラリア(クイーンズランド州)です。同じ学部の学生18人と共にクイーンズランド大学の英語学校での留学生活がスタートしました。

オーストラリアのクイーンズランド州ブリスベンにあるクイーンズランド大学の本部キャンパス。

本部キャンパスにある英語学校、ICTE-UQ(Institute of Continuing & TESOL Education)。

友人と一緒に行くならホームシックにはならないだろう。そう思っていた僕は見事にホームシックになりました。留学して一週間後には残りの日数(およそ300日)をカウントダウンしていたほどです。

初めて会うホストファミリー、初めて歩く通学路、初めて話すクラスメイト、一日中、英語を話すことも初めて。慣れないことを一日中して、帰宅後はすぐさま寝る。最初の数ヶ月はそんな毎日を過ごしていました。

最も辛かったことは、得意と自負していた英語が通用しないこと。何を言っているのかも聞き取れず、言いたいこともうまく伝えられず、僕の自信はズタボロにされてしまいました。理解できているかのように、いかにうまく相槌を打てるかに集中して、段々と会話をするのにも疲れてくると同時に怖くなってきました。なによりも、周りの日本人に「こいつ、わかってないな」と思われるのが嫌だったのです。

そのため、もともと人と話すことが苦手だったことも相まって、人と交流することが億劫になり、数多くあるイベントにはあまり参加せず、ホストファミリーやクラスメイトと積極的に話すこともしませんでした。

英語学校のクラスメート。日本以外にも中国・タイ・インドネシア・サウジアラビアなど様々な国から留学生が集まります。

日本人と喋ってはいけない?

友人の一人にこう考える人がいました。

「留学に来てるからには日本人と話してはいけない。英語のアウトプットを意識して、常に新しいことを経験すべき。」

これは正しいのでしょう。しかし当時の僕には厳しい正しさでした。自分と彼との大きなギャップを感じ、辛くなって、最終的には軽い鬱になってしまいました。

編入試験と競争意識

6月ごろには大きな試験があり、IELTS1日本英語検定協会が運営する英語能力判定テスト。詳しくはこちらで平均6.5以上のスコアを取らなければ学部に編入できませんでした。

そこからというもの、日本から一緒にやってきた友人にも競争意識が芽生えてきます。新しい生活にやっと慣れてきた次は、これが悩みの種でした。

競争する必要なんてないのに、どれだけテストで高得点が取れるか、どれだけレベルの高いクラスに入れるか、落ちこぼれにはなりたくない、そんなことを考えて勉強していました。オーストラリアでの生活や異文化交流などを楽しむことはせずに、いかに英語力があげられるかをひたすら考えていました。

ほぼ毎日、クラスメートと居残りで試験勉強(主にスピーキングの練習)。

両親に高い留学費を払ってもらい、恵まれた環境にいるからには怠けてられない、という焦りがあったのかもしれません。大学の図書館で遅くまで勉強し、高額な試験(2〜3万円)を何度も受け(期日までに規定のスコアを取ればよかった)、空回りし続けた僕は、みごと試験に落ちてしまいました。

成功の留学とは?

このように留学での失敗をつらつらと連ねてきました。まずホームシックになり、ホストファミリーやクラスメイトとあまり話そうとせず、競争ばかりして楽しむことができず、鬱になり、編入試験にも落ちてしまいました。

それでは、僕の留学自体は失敗だったのでしょうか?そもそも留学なんてすべきではなかった?

いえ、そんなはずはありません。むしろたくさんの失敗を経験できたからこそ、僕の留学には大きな意味がありました。当初の目的であった英語力の向上と異文化理解だけでなく、失敗をしたことによって思いがけない学びがあったのです。

それは、たまには慣れない環境に身を置くのも良いこと、言語学習において他人と自分を比べても意味がないこと。そして何よりも、失敗をしないことが「失敗」である、ということ。

もしかすると、成功の留学とは、たくさんの失敗を経験できる留学なのかもしれません。

失敗のない成功の留学なんてものはなくて、たくさんの失敗をして次に活かすことができて初めてそれを「成功の留学」と呼べるのだと思います。

終わりに

「留学をしたいけど、したくない」そう思っていた自分に、今の僕がアドバイスするならばこう言うかもしれません。

「確かに失敗は恐い。けれど、何もせず失敗を避けてしまうことこそ、価値のない「失敗」である。そんな「失敗」をまずは恐れてみよう」と。

失敗することさえ受け入れられば、何も怖いものは無くなります。そうすれば困難は挑戦に変わり、乗り越える壁は楽しくてワクワクするものに変わるでしょう。

Footnotes

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1 日本英語検定協会が運営する英語能力判定テスト。詳しくはこちら

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