学問としての翻訳研究とはなにか―関西大学 山田優教授へのインタビュー

どうも!関西大学の平岡ゆうすけ(@hyusuke59)です。

楽しむ気持ちを忘れないゆうすけのプロフィール

2017-09-28

今回の記事は、過去の学部生であった自分に向けたものです。というのも、学問や研究がどのようなものなのか、いまいちつかめず、大学院に進学を決めた自分はこれから何ができるのか、不安だったのです。

このようなモヤモヤする気持ちを抱える学生は決して僕だけではないはず!今回はそういった人たちに向けて、発信をしたいと思いました。

そこで、今回は僕の指導教官である関西大学の山田優教授にインタビューを致しました。山田先生の考えること、具体的には、翻訳研究の意義、研究に至った経緯などをお聞きしていきます。この具体例を通して、翻訳研究へのビジョンが少しでもクリアになれば幸いです。

平岡ゆうすけ

専門分野:翻訳通訳学
趣味:ゲーム/クロースアップマジック
ホームページ:ワカテ翻訳

機械翻訳を代表する技術的転回が翻訳のあり方を変えつつあります。そのような拡張された時代において見えてくる言葉の本質を探求しています。今は機械翻訳を軸に翻訳学の観点から研究中。「あそび」としての学問を目指しつつ、謙虚に生きていきたいです。知識の共有と対話の学びを目指す翻訳学メディア『ワカテ翻訳』を運営。

山田優

専門分野:翻訳通訳学
趣味:インターネット
ホームページ:山田研究室

1999年までウエストバージニア大学にて文学・言語学を学んだ後、ビジネス通訳、翻訳、ローカライゼーションなどの実務につく。その後、2012年に立教大学大学院にて異文化コミュニケーション研究科に入学し、博士号(異文化コミュニケーション学/翻訳通訳学)を取得。現在は翻訳テクノロジー論、翻訳プロセス論、翻訳通訳教育論などの研究に没頭する。

ADVENT CALENDAR 2018―22日の投稿

12月1日から24日までクリスマスを待つまでに1日に1つカレンダーを空けるという風習に習って、記事を投稿するイベント、それがADVENT CALENDAR!

はじめに

ゆうすけ
こんにちは。今日はよろしくお願いします。
山田先生
よろしくお願いします。
ゆうすけ
今回の読者層として挙げているのが過去の僕でして、どういうことかと言うと学部生の頃は学ぶことが好きで意欲はありつつも、学ぶ意味や目的みたいなものがぼんやりしていたんですよね。周りが就活で忙しなくしている中で、どうして大学の学問をする必要があるのだろうってずっとモヤモヤしてました。
山田先生
そうだね。わかるよ。極論を言うと就活だけを考えているならば、学問を学ぶ必要はないと思うよ。もちろん、すべては繋がってはいるんだけどね。ただ、格差社会が再び拡大していること、そしてAIが単純労働を代替できてしまうことが背景であるから、まずどのように生きていけばいいのか、を考えていく必要はあるだろうね。もはや終身雇用は意味がない。1つのことを一生物にしていけるのって、イチローみたいな天才だけなんじゃないかな、とも思う(笑)
ゆうすけ
なるほど(笑)でも確かに、そもそもの話で、このような議論をする機会も無かったと思うんです。教授と話せる機会も限られていましたから。
山田先生
たしかに、メタ的に言うと、こういった議論をすることが、大学で学ぶ意味とも言えるよね。
ゆうすけ
たしかに。そういった人たちって僕以外にもたくさんいると思うんですよ。そして過去の僕のように、学問の道に進んだ人が考えることやその実態などを知りたいと思っている。というわけで、今回は学者である山田先生が考える研究の目的、いわば学問の目的などを聞いてみたいと思ったわけです。

翻訳学とは

ゆうすけ
まずは「翻訳学とは何か」という基礎知識から初めていきたいと思うのですが、先生が考える「翻訳学」をお聞かせください。
山田先生
とりあえず、翻訳学には3つの側面があるとしようか。まず1つ目に挙げられるのが、翻訳実践のために役に立つ翻訳の理論かな。理論と実践の融合みたいな。つまり、翻訳者のため、そして翻訳のユーザーのための学問ということ。逆の言い方をすると、翻訳学というのは実践との接点が多い分野であるともいえるよね。
ゆうすけ
先生は研究をする傍ら翻訳の会社を経営されていますもんね。
山田先生
そう。でも、翻訳の側面は実践だけではない。翻訳を広く定義するのであれば、異文化コミュニケーションとかなり重なる部分があるので、単なる仕事だけではなくて、翻訳は世界のコミュニケーションを包括する学問であると言えるよね。
山田先生
2つ目は、1つ目にかなり重なっているところで、教育のための学問体系としての翻訳学が挙げられる。いわゆるTILT(Translation in Language Teaching)というものに当たるわけだよな。これまで翻訳をするという行為は(少なくとも日本では)教育の枠組みの中で体系づけされていないから。
TILT(Translation in Language Teaching):「外国語教育における翻訳」と訳される。この用語はCook(2010)の著書”Translation in Language Teaching”にて広く用いられるようになった。これはG-TM(文法訳読法)などの、単純な置き換え作業のような「教育訳」だけでなく、意味を重視するような訳出を外国語教育に活かそうという考え方である。
ゆうすけ
日本ではまだ翻訳通訳学という研究分野がまだ小規模で、学部や研究科のコースとして学べる場は少ないという現状がありますね。学部・大学院を得てプロの翻訳者になるのが一般的な欧米などに比べて、日本はほとんどの場合が大学ではなく専門学校などからスタートするので、実践と理論が乖離しているような気がします。
山田先生
そうだね。けれども、たとえプロの翻訳者にならないとしても、翻訳の教育はとても重要だと思う。翻訳という行為は人間が生きていく中で、非常に重要な要素のひとつだから。これは「なぜ外国語を学ぶのか」という問いと繋がっているものかもしれない。その答えは、きっと翻訳をする中で見えてくるものであり、学習者自身が抱く引っかかりみたいなものが「外国語学習の目的」だといっても良いくらい。それほど、翻訳は言語の本質と深く関連している。
ゆうすけ
なるほど。
山田先生
3番目も他の2つともちろん重なるけど、言語学や脳科学、生物学などが解明しようとしている人間というものの解明、つまり「言語の本質を探求する」というものだよな。これを語るにおいて、実践を抜きにしては不可能で、翻訳とは人間と言語の根本的な関係を暴くものだといえるね。
ゆうすけ
この実践は日常的に言語を扱うことだけではなくて、翻訳をする上でぶちあたる問題を解決するための経験、先生のいう「深い処理」などのことでしょうか?
深い処理:字面上で置き換えるのではなく、言外の意味などを汲み取って、訳出すること。山田先生の最近の論文1山田優・豊倉省子・大西菜奈美(2018)「翻訳は外国語教育に有効か?〜TILT および翻訳プロセスの脳科学的解明への序章〜」『通訳翻訳研究への招待』第19号, pp. 39-68では深い処理としてアイロニー(皮肉)やメタファー(比喩)を訳出することなどが挙げられている。
山田先生
うん。もちろん浅い処理も含まれますが、それらすべてを含むのが翻訳というわけ。ただ最近では、1つ目にあまり関心がなくなってきたかも。というか、実務者の人たちの中には間違った意味において、人工知能や翻訳理論という考え方に対して嫌悪感を抱く人がおおく、地位を守るためだけのような気がして。俺としては、翻訳の実践は、もはや2番目や3番目の目的のためなのかとと思ったりもしてる。平岡くんもそうでしょう。
ゆうすけ
そうですね。翻訳にはじめて出会ったのが学部生のころだったので。実際に翻訳をやっていて理論を学び始めたのではなく、理論を学んでから翻訳をさせてもらうようになりました。そういった意味でいうと、翻訳研究自体がこれまでよりも進んできているということかもしれませんね。
山田先生
そうだね。俺も最初は一番よりでした。つまり、実務ありきで理論は後からついてくる感じだった。でも最近はどっぷり2番、3番よりかな。3つをまとめると、こんな感じ。
翻訳学とは
1. 翻訳実践のための翻訳学:
翻訳支援ツール、ポストエディットなど
2. 翻訳教育のための翻訳学:翻訳プロセス、翻訳エラーカテゴリなど
3. 言語の本質を探求するための翻訳学:脳科学的アプローチなど

研究とその意義

ゆうすけ
研究についても上の3つを軸にやっているという感じでしょうか。
山田先生
そうだね。ですので、その具体例をあげれば研究の概要になるかと。この分け方は本当は良くないんだけど、応用研究と基礎研究のどちらかでいうと1つ目は応用に当たるでしょうね。反対に3番目は基礎かな。いかに翻訳を効率的に行えるツール、CATツール(翻訳支援ツール)などの開発などに関するものだからね。これはエンジニアリングに似た考え方で、目的ありきの研究だよね。雪の上でもスリップしないタイヤを開発しないといけないとして、いかにスリップしないものを作るのかが研究の目的ですよね。それに即していうと、基礎研究はタイヤの素材に関する研究と捉えられる。どちらにも、限界はあって、応用では今ある素材や技術でしか対応できないのに対して、基礎では素材だけを研究するだけが、スリップしないタイヤを作るという目的を達成する方法ではないよね。LILTって聞いたことあります?
ゆうすけ
いえ。
山田先生
CATツールに似たものなのですが、ユーザーの癖などを機械が学習して翻訳を支援するツールなのですが、これにはもちろん、プロの翻訳者がどのように翻訳をしているのか、翻訳プロセスなどの基礎研究のうえに成り立っています。1番目の目的は、そのような実践のためのものですね。
ゆうすけ
先生の最近の研究2山田優・豊倉省子・大西菜奈美(2018)「翻訳は外国語教育に有効か?〜TILT および翻訳プロセスの脳科学的解明への序章〜」『通訳翻訳研究への招待』第19号, pp. 39-68で、翻訳プロセスを脳科学的に見た研究もありますよね。
山田先生
あれはどちらかというと、3番目に近いものかな。大西さんによる翻訳プロセス研究3大西菜奈美・山田優・藤田篤・影浦峡(2017)「翻訳学習者が誤訳をする理由 MNH-TT の校閲カテゴリ「X3」から見る学習者の訳出プロセスと学習効果」『通訳翻訳研究への招待』第18号, pp. 88-106.は、学生が起こすエラーや、プロ翻訳者の訳出プロセスなどを見ているので、一見すると1番目に近いものではあるけれど、同時に翻訳行為そのものがどのようなものなのかを記述するという2番や3番のような意味合いもあるわけです。俺のニューラル機械翻訳を用いた学生によるポストエディット研究4山田優・大西菜奈美(2018)「それでも学生はポストエディターになれるのか?ニューラル機械翻訳(Google NMT)を用いたポストエディットの検証」『言語処理学会第24回年次大会発表論文集』pp. 738-741.なども同じような目的があります。
ゆうすけ
それぞれの意義についてはどのように考えていますか?
山田先生
1つ目には、最終的な成果物を生み出すことが意義と言えるでしょうね。ツールの開発などによって翻訳の品質がよくなれば、それは意義がある研究でしょう。
ゆうすけ
そうですね。
山田先生
それぞれ重なるので、極端な例を出そうか。例えば、一流のプロ翻訳者が我流の指導をしたとして、その指導を受けたグループは他のグループよりも翻訳スキルが伸びたとする。1つ目の意義としては、その結果だけで事足りるわけだな。2番目の意義は、その我流の指導方法を分析すること。しかし、ここで気をつけたいのはどのように分析するのか。ただ単に記述するだけの分析は意味がない。なぜかというと、それに因果関係があるのかどうかは定かではないから。それを証明するためには、それを再現できなければならない。例えば、ある批評家がヒトラーのような独裁者が生まれた理由は、当時の不景気が関係していると「分析」したのであれば、逆に景気が悪ければそのような独裁者が生まれるのかどうかを確かめなければならない。そのような予測や再現性を検証しない分析は、極端に言えば俺にとっては個人の感想でしかないと思いますね。
ゆうすけ
なるほど。
山田先生
先ほどの例で言えば、我流の指導方法を記述したものを再現して、同様の学習効果が生まれるかどうかを見なければ、その分析が真の意味で正しいとは言えない。逆に言うならば、その分析した指導方法が再現でき、効果があることが証明されれば、とても価値のある研究です。つまり、それ自体が、教育となりうる。そしてその因果関係を、さらに深く追求し、言語と人間の観点から、基本的な原理の解明に迫ることが3番目といえるだろうね。

研究の道までに至った経緯

ゆうすけ
では、なぜ先生はその問題を解きたいと思うのですか?好きだからでしょうか?
山田先生
理由は得にないかな。ということは、好きだからと言えるかもね。
ゆうすけ
なぜ好きだと思いますか?
山田先生
それはトートロジー的な質問で、答える意味はないかな(笑)
ゆうすけ
(笑)
山田先生
それでも答えるのであれば、人間の本質とは言語にあると思っているからだろうね。
ゆうすけ
言語を解明したいと思った経緯やきっかけなどはありますか?
山田先生
うーん。もともと、英語が好きで、高校2年のころにアメリカ留学に行ったんだけど、そこでは言葉が失われるような経験をしたことがひとつあるのかな。簡単に言うと、バカになった気分だった。後に、大学でスピーチをしたときの、冒頭一文目が “if you lost your language, what would you do?(もしも言葉を失ったとしたら、あなたはどうしますか?-筆者訳)”だったなあ。
ゆうすけ
僕も留学中に、英語が話せないゆえに、社会から疎外されている気持ちがありました。口座の件で、銀行に電話しないといけない時があって、電話をしても、雑音混じりで全く相手が何を言っているのか、わからなかったんですよね。そんな時、「ああ、自分はこんなこともできないんだ」って。
山田先生
そうそう、そんな感じ。何もできなかった。そういった経験によって、逆に言葉への興味が生まれたのかも。大学でアメリカ文学を専攻してた時もやっぱり興味があったのは言葉だった。そうしてある程度の言語レベルに達したときに、言葉のパワフルな一面なども垣間見れた。経験主義的なものと相反することかもしれないけど、言葉によってしか見えない世界もあると思うんだよね。相対性理論を提唱したアインシュタインなども、実際に光の速さを経験したわけではなく、数字をカリカリ書きなぐってたわけ。これと同じことが言葉でも可能なんじゃないかな。経験をしていないことを思考する力が言語にはあるわけです。
ゆうすけ
数字だけでなく、言語にも「計算」する力はあると。
山田先生
そうなんじゃないかな。とはいっても、経験なしに語れないことも確かにあるけどね。先ほども言ったように、実践なしに翻訳を、そして言語を語ることに限界はあるから。でも、レトリックの程度が高いけれど、薄っぺらい文章もある。今思えば、文学から離れたのも、レトリックの限界に気づいたからかも。あまりにも嘘臭いことをレトリックだけでやっているような気がしてしまって。そういう意味で、ネイティブが高度に操る言語が嘘のように聞こえてきてしまった。逆に言えば、自分自身が、ネイティブである日本語のレトリックに頼って、思考をしているのも、よくないと思う。そう考えたから文学から離れたのかもしれないなあ。こう考えると、World Englishes程度の外国語を操って思考することが、なんていうか、真実に近いというか、ちょうどいい感じに思考できるという気がする。つまり、ちょっと意識的に言葉を操るくらいがいいのであって、むやみにレトリックだけに頼ってしまって、人を説得し、自分も納得しても、真実は置いてきぼりをくらう、みたいな。いまのこういった話も、ちょっとごまかしている気がするよね。この話自体を英語でする、それか、日本語学習者に対して日本語を話す時みたいな感が一番、真実がみえる形で話ができる気がします。
World Englishes:「世界諸英語」と訳される。Kachru(1992, 1995)などによって提唱されたもので、世界各地で用いられている英語のことを指す。この言葉には、英語が単一の文化のみで話される言語ではなく、世界における各地の文化によって変容し使用されるものであるという考え方がある。
ゆうすけ
つまりは、嘘つきな大人が使う言葉よりも、無垢な子どもが使うような言語を用いたほうが真実を語るのに適していると。哲学でも、純粋な問いをぶつける子どものほうが向いている、みたいなことが言われますけど、そういったようなものでしょうか?
山田先生
そんな感じですね。

おすすめの本

ゆうすけ
ところで、おすすめの本ってありますか?
山田先生
うーん、難しいな。好きな本ならあるよ。『キャッチャー・イン・ザ・ライ』という本です。
キャッチャー・イン・ザ・ライ
J.D. サリンジャー、2006年4月1日、白水社
山田先生
これが人生の中で、飛び抜けて好き。高校を放校となった主人公が社会や大人の欺瞞を嫌う部分が共感できる。というか、この本の話をしていないけど…
ゆうすけ
さっきのレトリックみたいなことでしょうか?
山田先生
たしかに、言われればそうかもしれないな。だから、これはほとんど口語なんだよね。無垢な子供が使う言葉を、これだけ繊細につなぎ合わせることによって、大人の暴力的なレトリックでかき消されてしまった真実が、確実に浮かび上がってくる感じが、好きなのかもしれません。

インタビューを終えて

いかがだったでしょうか?山田先生が考える翻訳研究とその意義、そして問題意識などから、翻訳研究が具体的にどのようなものなのか、クリアになったでしょうか。

このように、実際の研究者が持つ研究の意義や問題意識に触れ、自分がやりたい研究は何なのか?と、立ち止まって考えることは、とても大切です。あれやこれやと考えても、自分自身が思いつくことは限られています。そんな時に他者が考えることを聞いて、議論して、もう一度考えてみる。そのような1つのきっかけになればと、翻訳研究を例にインタビュー記事を書いた次第でした。

それでは!

Footnotes   [ + ]

1, 2. 山田優・豊倉省子・大西菜奈美(2018)「翻訳は外国語教育に有効か?〜TILT および翻訳プロセスの脳科学的解明への序章〜」『通訳翻訳研究への招待』第19号, pp. 39-68
3. 大西菜奈美・山田優・藤田篤・影浦峡(2017)「翻訳学習者が誤訳をする理由 MNH-TT の校閲カテゴリ「X3」から見る学習者の訳出プロセスと学習効果」『通訳翻訳研究への招待』第18号, pp. 88-106.
4. 山田優・大西菜奈美(2018)「それでも学生はポストエディターになれるのか?ニューラル機械翻訳(Google NMT)を用いたポストエディットの検証」『言語処理学会第24回年次大会発表論文集』pp. 738-741.

ADVENT CALENDAR 2019
テーマ:日常の視点が思わずゆらぐ学習・活動秘話

勉強であれ、研究であれ、仕事であれ、活動であれ、本気で向き合っていると「あっ、ちょっと周りの人と考えがずれてきたな」と思うことってありませんか?深めれば深めるほど、思わぬ考えに至ったり、それが振る舞いに現れたり…

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