チョコレートができるまで②―歴史から眺めるさまざまなチョコレートと人の出会い

チョコレートができるまで

多くの人々を魅了するチョコレート。私自身もこの奥深い食べ物に魅了され、多くの書籍やそれに関わる方々と触れてきました。そこで気づいたことはチョコレートを取り巻く「甘い部分」と「苦い部分」の存在。3回に渡って皆様にチョコレートの奥深さをナビゲートできたらと考えております。チョコレートを学ぶことで、学ぶ楽しさを知るきっかけになれば幸いです。

第2回は、私たちが親しんでいるチョコレートができるまでの歴史についてご案内します。

関連する分野は世界史、地理、工業、経済学に宗教学まで。チョコレートを切り口にその多様な姿とさまざまな事柄との関わりを見ていきましょう。

フードコーディネーター

茨城県出身。県立広島大学 生物資源開発学科卒。専攻は有機化学および生体情報工学。卒業後は外資系製薬会社にてMR(医薬情報担当者)として7年間勤務。退職後、バンタンキャリアカレッジ フードコーディネーター科に入学し、基礎・応用課程を修了。30-40年前の料理を再現してもらう「古典料理の会」をはじめとしたイベントの企画運営、企業からのご相談を受ける。日本コネスールドショコラ協会 デビュタントディプロマ/J.S.A.ワインエキスパート、ワイン検定講師/紅茶コーディネーター/日本ハラール協会 ハラール管理者

貨幣としてのカカオ

チョコレートの原料であるカカオは古くから人々と密接に関わってきました。

古くはマヤ文明やアステカ文明では、カカオに貨幣価値がありました。

また、お祝いの時や王侯貴族の飲み物として珍重されており、まさにお金を飲めるくらい裕福な方々の嗜好品でした。

貨幣価値については多くの研究者が検討をしており、例えば1520年代のニカラグアではカカオ4粒でかぼちゃ1つ、カカオ100粒で奴隷一人が買えたといわれています。

カカオの神様 ケツァルコアトル

アステカ文明がスペイン人により滅ぼされたことを知っている方は多いでしょう。

しかし、この滅ぼされたのはカカオの神様のせいかもしれない、というのはご存知でしょうか。

アステカの農業神であるケツァルコアトル(Quetzalcoatl)。

人々に農業の知識とともにカカオとトウモロコシを与えた変幻自在の神と言われており、白い翼のある蛇や白い肌で髭の生えた人間の姿が言い伝えられています。

このケツァルコアトル、ある計略に嵌り、アステカの地を去ることとなります。

その際に「一の葦の年」にまたアステカの地に戻ると予言したと伝えられていました。

この言い伝えが、後の悲劇を生むこととなります。

 

一方、16世紀の大航海時代。メキシコ探検のためにコンキスタドール(征服者)であるエルナン・コルテスがアステカの地に降りたちます。

それが1519年、一の葦の年でした。

肌が白く、髭を蓄えたコルテスを見たアステカ人は、ケツァルコアトルが戻ってきたと勘違いしてしまったのです。

そして、1521年にアステカ文明は滅ぼされてしまいます。

実際には戦いも起こりますし、スペイン人が持ち込んだ天然痘によって兵力が落ちたことも要因ではありますが、数奇な運命のためにアステカ人の対応を悩ませる一因となりました。

 

このケツァルコアトルに似た伝説は仏教の弥勒菩薩にもあり、宗教ではよくあるお話なのかもしれません。

チョコレートの4大革命

エルナン・コルテスによってスペインにカカオの存在が広まり、飲み物としてのチョコレートが広まりました。

日本ではチョコレートといえば食べるもの、というイメージがありますが、

実際には飲むチョコレートの歴史の方がとても長いです。

18世紀、携帯性に優れ、どこでも楽しめる「食べる」チョコレートを作るために多くの技術者が研究を重ねました。

特にきっかけになった4つの発明をご紹介します。

1828年 ココアの発明  by クンラート・バンホーテン(オランダ)

カカオ豆には、50%以上のカカオバターが含まれます。

当時の脂っぽいチョコレートは飲みにくく胃にもたれると言われていました。

バンホーテンはカカオマスから油脂分であるカカオバターを抽出する搾油機を発明。

カカオマスの油脂分を28%程度まで落とすことに成功しました。

この油脂を絞ったカカオマス(カカオケーキ)を粉末状にすることで、お湯に溶けやすいココアパウダーが誕生しました。

また、カカオ豆をアルカリ液で処理する方法を考案し、チョコレートがミルクや水に溶けやすくなりました。

このアルカリ化、チョコレートの溶けやすさだけでなく、風味もまろやかになり色調はブラウンになります。

このアルカリ処理は、オランダで開発されたことで現在でも“ダッチング”と呼ばれています。

搾油することで得られたカカオバターは、後の食べるチョコレートを開発するきっかけとなります。

1847年 食べるチョコレートの発明  by ジョセフ・フライ(イギリス)

当時のチョコレートは、ココアパウダーと砂糖をお湯に溶かした飲みものでした。

ジョセフ・フライは、携帯性を高めるために、ココアパウダーと砂糖にココアバターを加えてみました。

それを冷やしてみたところ常温では固体になり、口の中では体温で溶けるという固形のチョコレートができました。

この発明により、型に流し込んでいろいろな形のチョコレートが作られるようになりました。

1875年 ミルクチョコレートの発明  by ダニエル・ピーター(スイス)

チョコレートは油分が多いため水とは混ざりにくく、ミルクをそのまま添加すると、粘土のようなボソボソしたものになります。

そのためミルクの水分を取り除く必要がありました。

当時、ピーターが住んでいたスイスのベベイ村には有名なネスレ社を創業したアンリ・ネスレ(Henri Nestle)が住んでおり、育児用粉乳を発明していました。

そこでネスレ社と協同開発の粉ミルクを使用したミルクチョコレートが誕生しました。

1879年 コンチェの発明  by ルドルフ・リンツ(スイス)

カカオ豆はすり潰していくと5μmの微細な粒子にすることができます。

ある時、リンツが連休の前日に水力で動いていたカカオを練る機械を止めずに帰ってしまったところ、

連休明け(72時間後)に機械を覗いたらチョコレートが様変わりしていて、トロリとして口溶けが良く、マイルドになっていたということです。
*この開発秘話には諸説あります。

リンツはこの時の機械を改良・発展させ、これをコンチェ(CONCHE)と名付けました。

この機械がある巻貝に似ており、スペイン語のコンチャからの命名といわれています。

現在、スイスのチョコレートはミルクチョコレートで滑らかなものが多いのは、上記2つの発明によるものと考えられます。

フードコーディネーター
多くの人の血と汗でできたことを知って食べるチョコレートはいつもより少し苦いかもしれませんね。
チョコレートができるまで
  1. カカオの植生からチョコレート製造までの工程
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