異文化体験。
この言葉を聞いて、何を思い浮かべますでしょうか?
旅行でヨーロッパに行ったとき、公衆トイレにお金がかかってビックリ!
留学生の友達と食事に行き、お皿を持って食べることは礼儀正しくないとされる国もあると知ってビックリ!など。
もちろん、どれも正解だと思います。
しかし、最近私が一番強く感じた異文化は学問間にあったんです。
大学から大学院進学で起きた異文化体験
私は、2014年4月~2018年3月までの4年間、筑波大学社会国際学群国際総合学類に所属していました。そして2018年4月からは、現在の筑波大学大学院システム情報工学研究科の社会工学に進学をし、約8か月が経ちました。
大学時代は国際関係学を専攻としており、国際間の政治、経済、法関係など、幅広い視点からマクロに学んでいました。
大学院に進学してからは一変して、都市計画を専攻していることもあり、実際のフィールドに立ち、肌身でまちを感じ、同じ専攻の人たちと協同しながら学んでいきます。
ここでいう、大学と大学院での私の学び方の大きな違いは、「組織づくりをしている」ということです。
大学時代の国際学では、講義を受けたり、文献を読んだりしてインプットをしながら、問いを立て、自分自身の思考内で解をだしていくやり方でした。
一方、大学院での社会工学は、社会にある課題を問いとして設定し、それを自分一人だけで解を出し切るということはほとんどなく、個の思考を交錯させながらのグループワークを経て、個の集合(=組織)として解をだしていきます。
進学して間もないころは、私は学問のこの手法の違いに異文化を感じていました。
しかし、次第に私は、社会工学の都市計画専攻は、組織づくりという「まちづくり」をしていることに気が付きました。
「まちづくり」とは何か
では、ここでいう「まちづくり」とは一体何なのでしょうか。
- まちの人と人をつなぐこと。
- まちのインフラを整備すること。
- 行政自治体の総合計画を作成すること。
- まちで地域密着型のイベントを実施すること。
- 再開発事業として駅前に商業ビルを建設すること。
すべて「まちづくり」だと思います。
まちという表記にも「町」や「街」という言葉があるように、「町づくり」や「街づくり」と表現されることはありますが、まちを「つくる」はほとんどひらがなです。それは、「つくる」という言葉に明確な意味が付与されていない、すなわち解釈の余地が無限に与えられているからだと私は考えます。
また、ここで言うまちづくりの「まち」って何でしょうか。私があえて平仮名で表現したのは、解釈の幅を広げたいと思ったからなんです。「まち」に固定の定義などはなく、スケールも様々です。
人口が100万人単位かもしれないし、数百人単位かもしれない。農村地帯かもしれないし、再開発も進む高層ビルが立ち並ぶところかもしれない。スケールは違えど、すべてに共通していることは、「まち」を構成しているのは組織の集合体ということです。
まちには、人ひとり一人、個の集合である組織が存在し、そしてその組織の集合で成り立っているものです。
まちの中にも様々なアクターが存在します。行政自治体、民間企業、住民など。それらのアクターの意思や意向を交錯させながら、ときには民間企業のイベントに住民が参加したり、ときには市民参加型のワークショップを実施して行政の計画が作られたり、ときには民間企業の取り組みが行政と連携して進められたり。
まちを”構成する組織”として、いろんな思いをすり合わせていく場面は日常にたくさんあります。
だからこそ、都市計画という専攻の授業のグループワークで、課題解決に向けてみんなの意見を交錯させ、合意形成をしながら進めていくという組織づくりは、一つの小さなまちづくりだと私は感じました。
まちづくりとは何たるか。
私自身、考えあぐねていたことが社会工学の文化を経て、ようやく見えてきたような感覚です。