コロナ禍とインクルージョン ひとりひとりを見ながら全体を考える

コロナ禍が教育にもたらした影響はかなり大きなものでした。多くの国が学校閉鎖を余儀なくされ、ユネスコのコロナ関連のポータルサイトによれば、今でも部分的にしか学校を再開できていない国が多く存在します(2020年12月1日現在)(UNESCO 2020)。

そんな学校閉鎖期間中に各国で広く行われたのが、テクノロジーを駆使したオンライン学習の導入・推進でした。各国でZoomやSkype、テレビやラジオを通して教育を届けることが試みられています。

しかし、国や地域によっては、オンライン学習に必要な機器やインターネット環境が全員に対して平等に保証されているわけではなく、それらへ満足にアクセスできる家庭とそうでない家庭の教育格差が広がっていると言われます。また、この格差は新しく出てきたわけではなく、既に社会的に不利な立場に立たされていた人々(障害のある学習者・へき地に住む学習者・貧困家庭出身の学習者等)に対して、さらに深刻な被害をもたらした、つまりはもともと存在していた教育格差を顕在化ないし悪化させたとも言われます。コロナ禍による学校閉鎖期間中であっても学習者の学びを保証しよう、と導入された教育方法が、その意図とは裏腹にむしろ特定の学習者を疎外してしまうことがあるのです。

コロナ禍のなかで、すべての学習者に教育を保証するためにはどのような考えかたが必要でしょうか?

近年注目を集めている議論に、「包摂=インクルージョン  inclusion」「インクルーシブ教育」への教育システムの移行があります。これはコロナ禍の現在においても重要視されている考え方です。例えば教育分野を管轄する国際機関であるユネスコが主導し発行している、グローバル・エデュケーション・モニタリング・レポートの2020年版のテーマが「インクルージョンと教育」であり、また世界銀行は7月末にコロナ禍への対応として『Pivoting to Inclusion: Leveraging Lessons from the COVID-19 Crisis for Learners with Disabilities』というレポートを発表し、そのタイトルにある通り教育分野における「インクルージョン inclusion」を推進すべきであると主張しています(World Bank 2020)。

そこで今回は、教育におけるインクルージョン、ないしは「インクルーシブ教育 inclusive education」が含意する特徴について解説するなかで、教育分野におけるコロナ対応をどのように考えればよいのかについて、インクルージョンの観点をシェアすることを目的とします。

なお、本記事では主に倫理的・人権的・理論的な観点からインクルージョン等について解説します。実際にはインクルーシブ教育の定義や有効性等に対して複数の説明があることをご了承ください。

本記事で皆さんに知ってほしいことは次の通りです。(読了までの時間:15分)

  • インクルージョン、インクルーシブ教育の主要な定義・特徴を知ること
  • インクルージョン、インクルーシブ教育を下支えする価値規範について知ること
  • コロナ禍における教育を考える際に必要な問い方を知ること
キーワード
  • インクルージョン
  • インクルーシブ教育
  • 多様性
  • ニーズ
  • 公正さ

ひらっち

シェアスタッフ。途上国の教育開発を専門にすべての人々に質の高い教育を届けることを目指している。不就学児童、障害児への教育、インクルーシブ教育を勉強中。修士課程への進学に向け、目下準備中。

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12月1日から24日までクリスマスを待つまでに1日に1つカレンダーを空けるという風習に習って、記事を投稿するイベント、それがADVENT CALENDAR!

インクルージョンとは何か?

インクルーシブ教育という言葉の定義は、実はまだ1つに定まっていません。しかし、中心的な特徴やアイデアについては一定の合意があります。そこで本記事では、頻繁に参照されるインクルーシブ教育に関する国際会議、および国際機関のレポートから、教育におけるインクルージョン、インクルーシブ教育の主要な定義とアイデアを確認します。なお、本記事では主にこれらについて政治的・倫理的・人権的な観点から解説します。

本記事での結論を先に述べてしまうと、インクルージョン、ないしインクルーシブ教育は

学習者の多様な特性・ニーズに合わせて、すべての学習者が十全に学べるよう、学習者の教育環境をはじめとする教育システム全体を、公正な手続きで変えていくプロセス

であるといえます。

システム変容としてのインクルージョン

初めに、インクルーシブ教育が国際的に認知されるきっかけとなった、サラマンカ宣言(The Salamanca Statement and Framework for Action on Special Needs Education)の定義を確認します。

サラマンカ宣言の冒頭には、インクルーシブな特性を持つ教育(=インクルーシブ教育)が下記の様に提唱されています。

われわれは以下を信じ、かつ宣言する。

  • すべての子どもは誰であれ、教育を受ける基本的権利をもち、また、受容できる学習レベルに到達し、かつ維持する機会が与えられなければならず、
  • すべての子どもは、ユニークな特性、関心、能力および学習のニーズをもっており、
  • 教育システムはきわめて多様なこうした特性やニーズを考慮にいれて計画・立案され、教育計画が実施されなければならず、
  • 特別な教育的ニーズをもつ子どもたちは、彼らのニーズに合致できる児童中心の教育学の枠内で調整する、通常の学校にアクセスしなければならず、
  • このインクルーシブ志向をもつ通常の学校こそ、差別的態度と戦い、すべての人を喜んで受け入れる地域社会をつくり上げ、インクルーシブ社会を築き上げ、万人のための教育を達成する最も効果的な手段であり、さらにそれらは、大多数の子どもたちに効果的な教育を提供し、全教育システムの効率を高め、ついには費用対効果の高いものとする。

(UNESCO 1994, pp. viii-xi;強調は本記事筆者;邦訳は国立特別支援教育総合研究所ホームページ(旧版)より引用:https://www.nise.go.jp/blog/2000/05/b1_h060600_01.html

ここで注目したいのは下記の3点です。

  • 全ての子どもが教育を受ける権利を持っていること
  • 全ての子どもがそれぞれに固有の特性、関心、ニーズを持っていること
  • 教育システムはこの多様な特性、ニーズに柔軟に対応できる通常の学校を用意しなければならないこと

これらのポイントから、インクルーシブ教育はすべての学習者のニーズに合わせた「学習者の教育環境・教育システム自体の変容」を求めていることが分かります。

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※補足※

「通常の学校」および「教育システム自体の変容」が意味することについて、障害児教育の観点から補足します。

まず「通常の学校」という言い回しについて、障害児教育においては、障害児が学ぶ場所に関して「分離教育」から「統合教育」へという教育形態の展開が議論・実施されていました。分離教育は児童を「健常児」と「障害児」に分類し、健常児は通常の学校、障害児は特殊学校と、別々の学校で学ばせる教育形態のことを指します。対して統合教育は健常児も障害児も同じ場所(通常の学校)で学ぶ教育形態のことを指します。サラマンカ宣言は障害児教育の議論を色濃く反映したものであるため、上記のような概念を前提に「通常の学校」と明記していると考えられます。

「教育システム自体の変容」について、統合教育をインクルーシブ教育を比べたとき、統合教育においても、(サラマンカ宣言における)インクルーシブ教育においても、全ての児童が通常の学校にて学ぶ点では共通しています。

しかし、両者が決定的に異なる点が存在します。統合教育においては、同じ場所で学ぶ際に、障害児の側から既存の教育システムに適応しなければならないことが含意されています。例として、聴覚障害児や児童の保護者が補聴器を自費で購入し授業に参加することが挙げられます。しかし、統合教育はしばしば必要な教育資源(教員など)が手に入らないことが多く、ただ「障害児が通常の学校に投げ捨てられただけ」(投棄:ダンピング)になってしまうという問題がありました。

他方で、インクルーシブ教育は学習者個々人のニーズ(この場合は学習者の持つインペアメント≒障害)に合わせて、学習環境の側を変えていく志向性を持っています。同様の例を用いれば、手話通訳ができる教員を雇用することが一例として挙げられます。

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過程としてのインクルージョン

続いて、国連機関であるユネスコ(UNESCO)によるインクルージョン、インクルーシブ教育の定義を確認します。

ユネスコが2003年に発行した報告書によれば、インクルージョンとインクルーシブ教育はそれぞれ以下の様に定義されます。

インクルージョン

  • 全ての学習者の学習、文化、地域社会への参加を促進し、教育の中でも、教育そのものからも排斥されないような状況をつくることによって、彼らの多様なニーズを明確にし、応えていこうとする過程

インクルーシブ教育

  • 正規・非正規の教育環境における広範囲にわたる学習ニーズに適切な対応を提供していくこと
  • (特別のニーズを有する)学習者がいかにして主流の教育に統合していくかという周辺的な課題のことではなく、教育システム全体をいかにして学習者の多様性に対応するように変容させていくかを模索する方向性

(強調は本記事筆者;UNESCO, 2003, p. 7;邦訳は黒田, 2007, p. 33)

先に見たサラマンカ宣言が推進した「システム変容」としての側面に加えて、ユネスコの定義ではニーズに応え続けていく「過程」「プロセス」そのものとしてのインクルージョン、インクルーシブ教育が押し出されています。

規範としてのインクルージョン―「公正さ」

上述の2つの定義から分かるように、インクルージョン、インクルーシブ教育はすべての子どもが教育を受ける権利を持っていること、また学習者の多様性を前提としています

それらの前提から、「すべての子どもに良い教育を届けるべき」「多様性を尊重すべき」、「多様な学習者に合わせて教育を組織すべき」といった「べき論」、すなわち規範的(・政治的)な側面がインクルーシブ教育には含まれています(黒田 2007)。

さらに、インクルーシブ教育の規範的側面は、「公正さ equity」という倫理学の概念を反映しています。この公正さに基づいた教育の考え方こそが、インクルージョン、インクルーシブ教育の中心にあります。上記のべき論とこの「公正さ」という考え方が、コロナ禍の教育格差の是正を訴えるための根拠にもなっています。

公正さ(equity)を理解するため、しばしば対置される「平等(equality)」という概念と合わせて解説します。

平等は、資源などの「投入 input」、その投入の「結果 output」などにおける、物事の状態を指します。図1の左の絵を例に取ると、投入(この場合は3人の子どもが立っている箱の数)では平等が達成されていますが、結果(黒板に文字を書くことができるかどうか)においては平等が達成されていません。

一方で、公正さはある平等を達成するためにどういったアクションを取ったのか(取るのか)というプロセスに目を向けます。図1の右の図では、黒板に文字を書けるという結果を全員に平等に保証するために、箱の数(投入)を子どもたちの身長に合わせて調整しています(アクション)。

インクルージョンの考え方がコロナ禍の教育格差を指摘するうえで大切であるといえる1つの理由は、この公正さに基づいた前面に押し出すという特徴からです。すべての学習者に平等によい教育を届けるという目標のもと、学習者のニーズに応じた公正なアクション(定義からいえばシステム変容)が必要であると主張できるのは、インクルーシブ教育の大きな強みであると言えます。

図1:平等(equality)と公正さ(equity)(出典:UNESCO (2020, p. 11))

上記の解説から改めてまとめると、①システム変容として、②過程そのものとして、そして③公正さに基づいた規範として、教育におけるインクルージョン・インクルーシブ教育を定義するとき、これらは

学習者の多様な特性・ニーズに合わせて、すべての学習者が十全に学べるよう、学習者の教育環境をはじめとする教育システム全体を、公正な手続きで変えていくプロセス

であるといえそうです。

コロナ禍において意識したい3つの観点

上記で確認したインクルージョンの観点から、コロナ禍がもたらした(顕在化させた)教育格差に対してどのように問うことが出来るでしょうか?多少恣意的ですが、基点となる問い方を3つの観点に分けて列挙します。

包摂性

  • 学習者ではなく彼らを取り巻く学習環境をどう変えるられるか?
  • 全員が学べる学習環境を整えるために何が必要か?
  • オンライン教育のプラットフォームのボタンの大きさは目が見えにくい人びとにとって使いやすいか? など

必ずしも社会の構成員全員が、自分たちの努力や調整のみで教育を受けられるようになるわけではありません。すべての学習者に教育を保証することを目標とするならば、まずは学習者が社会経済的な背景等に関係なく十全に学ぶことが出来る環境構築(制度・教員・教育施設等)を目指すことが必要だと考えられます。

個別性

  • 「この」学習者たち、「あの」学習者には何が必要か?
  • 「この」学習者はどのようなニーズを抱えているか? など

インクルーシブ教育が個々人のニーズに合わせて変容する教育であるならば、全体の変容を考える際には個々人の違いやニーズへの適切な応答が必要です。より実践的なレベルにおいては比較的似通ったニーズを持つ学習者を共通のカテゴリとして把握することもあり得ます。

反省性

  • この(教育問題への)対応方法は誰を疎外しているか?
  • (現行の教育は)誰にとってのインクルージョンか?
  • 誰がこの学習者のニーズを決めたのか?
  • 「あの子ども」「あのグループ」は何を望んでいるか?当事者の意見が適切に反映されているか? など

個人やグループのニーズの定義・同定は、誰かを包摂するために必要なプロセスです。しかし、学習者のニーズの把握(ラベリング)は適切な学習支援・システム変容にも、その学習者にとって不適切な処遇にも繋がり得ます。その意味で、現行のシステムや教育方法が誰を疎外しているのかを反省的に問うことは、「すべての」学習者の包摂を目指す上で必要です。さらに、誰が学習者のニーズを決定しているのかという問いは、ニーズの把握において誰の声が反映されているのか/いないのかを明らかにすることが出来ます。包摂的に見える施策の裏で、排除される特定の人々の存在を反省的に検討することも、同様に「すべて」の学習者の包摂に向けた不可欠なプロセスです。

おわりに

本記事では、まず教育におけるインクルージョン、インクルーシブ教育の定義について確認し、それらを「学習者の多様な特性・ニーズに合わせて、すべての学習者が十全に学べるよう、学習者の教育環境をはじめとする教育システム全体を、公正な手続きで変えていくプロセス」であると定義しました。つづいて、インクルーシブ教育の観点からコロナ禍における教育をどのような問いから始められるかについて、3つの観点に分けて私の考えを列挙しました。

ひとりひとりを見ながら全体を変容させ続けるインクルージョン、インクルーシブ教育の考え方が、ひとりひとりを見ながら全体を変容させ続けるインクルージョン、インクルーシブ教育の考え方が、皆さんの心のどこかに残っていれば幸いです。

参考文献

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