「雑談」の行方とこれからのあり方

コロナ禍を原動力に、悪い意味で、そして良い意味でも私たちの生活は変化しつつあります。その変化に二つのフェーズがあるとすると、これまでの生活様式の「無駄」を排除するというフェーズを過ぎて、現在はその「無駄」をもう一度見つめ直すという第二のフェーズに差し掛かっているように思えます。今回の記事では、そんなコロナが起こした変化のうちの、コミュニケーションに関連する部分を取り上げてみます。

2月にコロナの流行が始まったと同時に、修士論文を提出し終えた後の自分の生活スタイルも以前とは大きく変化しました。大学院卒業と同時にフリーランスの実務翻訳者として働き始めたため、基本的には在宅ワークとなり外出する必要がなくなったのです。とはいっても、他の人との繋がりが無くなったわけではなく(頻度が少しは減りましたが)、ZoomやGoogle Meetを介して仕事に関するミーティングを頻繁に行っていました。また、修士研究の延長として研究も続けていたので、それに関する打ち合わせも週に数回は参加していました。

この記事では、そのようなプロジェクトを進行するうえでオンラインミーティングというコミュニケーションが増えた背景において、あまり焦点を当てられてこなかった「雑談」について考察してみたいと思います。

平岡裕資

機械翻訳を代表するIT技術が翻訳のあり方を変えつつあります。そのような拡張された時代において見えてくる言葉の本質を探求しています。「あそび」としての学問を目指しつつ、謙虚に生きていきたいです。

ADVENT CALENDAR 2020―2日の投稿

12月1日から24日までクリスマスを待つまでに1日に1つカレンダーを空けるという風習に習って、記事を投稿するイベント、それがADVENT CALENDAR!

「無駄」の省略と再考

そもそも、コロナ禍における無駄のあり方について考え始めたきっかけは、こんなツイートでした。

これは、「どうでもいい(と思っていた)ことが実はどうでもよくなかったということがコロナ禍を通して発見できた」という趣旨のツイートです。内容の是非はひとまずおいといて、このツイートにおよそ4万いいねがついているということは、このような感情を抱く人は多かれ少なかれいるということでしょう。

また、今回のイベントページに掲載されている参考文献の『コロナ危機の社会学 感染したのはウイルスか不安か』で、著者の西田さんは、似たような概念(どうでもいいこと)を「冗長性」と呼んでいます。コロナ禍による改革を考えるにあたって、この意識は必要であると主張しています。1西田亮介(2020)『コロナ危機の社会学 感染したのはウイルスか不安か』朝日新聞出版

このような概念を自分に当てはめたとき、特に2月ごろから自分が行ってきたオンラインでのコミュニケーションに当てはめたとき、この「どうでもいいこと」や「冗長」とされてきたものは何かというと、それはおそらくオンラインミーティング外での会話なのだと思われます。ミーティングをするということは、ある目的を掲げたうえで話し合いの場を設けることが多く(〇〇のテーマにおいて決定を下す、ブレインストーミングするなど)、目的のないコミュニケーションは度外視されます2ここでいう目的とは、あらかじめ設定されている参加者に共有されているものを指しています。厳密には、ミーティング外のコミュニケーションにおいても、参加者の片方または一部が勝手に目的をもって雑談をしているケースも考えられるからです(仲良くなりたい、自分の考えを整理したいなど)。。このような目的のないコミュニケーションを、この記事では「雑談」と呼ぶことにして、その定義とメリットについて考えてみます。

雑談の定義と重要性

コロナ禍前後のコミュニケーションと「雑談」

「雑談」が何かを考えるために、コロナ禍前後のコミュニケーションのなされ方について、偶発性と目的の有無を軸に、二つに分類してみました(以下の表を参照)。今回は、プロジェクトの進行において行われるコミュニケーションに限定しています。

コロナ禍より偶発性目的の有無
前のコミュニケーション偶発的と非偶発的が混同偶発性によって変動(偶発的=目的なし)
後のコミュニケーション非偶発的のみに限定目的ありきのコミュニケーションに限定

表1. コロナ禍前後のコミュニケーションの比較

偶発的なコミュニケーションとは、事前に話し合いの場が設定されていない、偶然に発生するコミュニケーションです。例えば、行き帰りの電車の中での会話や、休憩中のお喋りなどです。これは前節で挙げた「雑談」に該当するものです。事前に話すことも決められていないため、トピックがブレやすいという特徴があります。一方で、非偶発的なコミュニケーションとは、前もって決められた日時に行われるコミュニケーションです。例としては、ゼミや会議などが挙げられます。コロナ禍で機会が増えたオンラインミーティングもこれに該当します。

コミュニケーションの目的の有無はこの偶発性によって決まります。つまり、偶発的であるコミュニケーションは目的が定められていない場合が多い一方で、非偶発的なものは目的ありきでなされるのが一般的です。

プロジェクトにおいて、この二つの変数(偶発性と目的の有無)があるとしたとき、コロナ禍前では雑談としての偶発的なコミュニケーションと、オンラインミーティングとしての非偶発的なコミュニケーションの二つが混同しており、偶発性と同時に目的の有無と内容が自ずと決定される状況であったと言えます。反対に、コロナ禍後は、このようなオフラインにおける偶発的なコミュニケーションがほとんど不可能となり、目的ありきの偶発的でないコミュニケーションのみに限定されている状況にありました。

「雑談」の恩恵

また、一口に「雑談」と言っても、それには複数の形式が想定できます。ここでは自分の経験談をもとにするため、主にプロジェクト的な枠組みの中で起こりうる「雑談」について記述したいと思います。

ここでは、結果的に発生するメリットをベースに「雑談」を以下のように分類します3上で書いたように、雑談は偶発的であり、トピックがブレやすく制御しにくいものであるため、雑談の参加者が密かに目的を持っていたとしても、その目的が達成しにくい場合が多いと考えられます。そのため、ここでは、目的という観点からではなく、最終的に達成されうる成果をベースに考えます

  • 対人関係の円滑化としての雑談:文字通り、人間同士の関係をよりよくするような雑談(世間話やお互いのパーソナルな情報の伝達など)
  • 思考の言語化としての雑談:ある参加者が自分のタスクに関すること、例えば自分が今行っている作業について気軽に共有することで、結果的に自分の思考を言語化できるような雑談。この延長線上には、成果発表などのフォーマルなものがある。
  • 情報共有としての雑談:プロジェクトに緩やかに関係するような情報の伝達となるような雑談。やり取りする情報はプロジェクトに関するコアなものというよりも、その周辺にあるようなもの。

(これら以外に、付加的には、モチベーションにもつながるような雑談も存在します。これは、自分の考えをクリアにできることから発生するものや、情報共有として他人の取り組みを知ることなどから発生するものもあるため、上の分類のすべてに当てはまると考えられます。)

これらのようなメリットにつながる雑談というのは、コロナ禍でリモートワークが推奨もしくは強制されるなかにおいて、意外にも蔑ろにされてきたように感じます。かくいう自分も、このような重要なコミュニケーションを意識せずに半年ほどリモートワークを続けましたが、その中で、原因がわからない居心地の悪さを感じていたのは、「雑談」が皆無になってしまっていたからかもしれません。

また、だんだんとオフラインでのコミュニケーションが可能になってくる一方で、コロナ禍をモチベーションとした改革の片鱗が残りつづけると考えられます(つまり、オンラインミーティングで事足りるじゃん!というケースが生まれてくるなど)。そのような状況において、この「雑談」の重要性というものに目を向け、それがどのように達成されるべきであるのかを考える価値は十分にありそうです。

これからの雑談の作り方

「雑談」を「ミーティング化」する

それでは、2020年春のような外出自粛生活において、そんな重要な「雑談」という場を蔑ろにせず、いかにして作りだせるでしょうか4勝手に生まれる雑談を作り出そうという時点でそれが雑談であるのかは疑問ですが、オンラインで作り出す以上、ある程度は意識的にならざるをえません。そもそも論として、「雑談」の重要性を意識するのであれば、それを意識的にオンラインで繋がりを作ろうとすることは容易ではあると思うのですが、このような意識改革的な観点はあまり好きではないので、ここでは割愛します。。それには、「雑談」がもたらす無意識的な恩恵をしっかりと把握し、それらを目的化させるということです。つまり「雑談」を「ミーティング化」させるということです。上ですでに書いてきたように、「雑談」ははっきりとした目的がないコミュニケーションの形態と定義しましたが、これを意図的に作り出すには、「雑談」から得られるメリットを拾う形で目的として設定する「ミーティング」を開いてしまうことが簡単だろうと思います。

一つの案としては、「雑談」がなされるような頻度で日時だけを設定しておき、定期的な「ミーティング」を開くというものです。これはすでに実施しており、数ヶ月間、二週間に一度の頻度で研究室に所属するメンバーと一緒に定期的に開催してきました。目的を設定した「雑談」であるため、普段の目的が共有されていないものとは性質は異なるものの、上記で挙げた恩恵はある程度感じられました。ただし、あくまでも研究プロジェクトを進めるために「雑談」の恩恵を受けるという大枠の狙いはあるため、時間制限を設けることでダラダラと続けないように注意はしました(これは、普段の雑談でも同様です)。

仮想の作業場を作る

また、オンラインの作業部屋を作るという案も考えられます。自然に雑談が起こりやすい場所、たとえば作業部屋を仮想的に作ることで、オンラインでも雑談できる機会を作ろうという企みです。この発想は、オンラインゲームを通じたコミュニケーションから来ています。例えば、Discordはゲームをする人がよく使っているアプリケーションで、グループ内のそれぞれのチャンネル(ゲームタイトルや友達グループなどで分けられる)にとりあえず集まってコミュニケーションを取ります。集まったからといって、必ずしも一緒にゲームをするとは限らず、それぞれが別々にプレイしながら時折会話するような仕組みです。つまり、このチャンネルは作業場のような役割を果たしていると言えます。

また、Slackのようなチームのコミュニケーションツールもこの作業場のような空間を仮想的に作ることができる手段です。たとえばSlackでは、メンバーのステータスを確認できる機能があります。このステータスによって、メンバーがアクティブであるか(Slackのアプリを開いているか)を知ることができたり、より詳細な状況(オフィス、リモートワーク、お休みなど)を知ることが可能です。お互いの状況がわからないリモートワーク中と比較して、より気軽に話しかけられるような仕組みになっています。

これらのような手段で作り出す雑談は、本来の偶発的なそれとはいささか異なる特徴は持ちそうですが、偶発的なものから得られる恩恵をある程度はカバーできるようなものであると感じています。

おわりに

この記事では、コロナ禍で推奨されつつあるテレコミュニケーションの代償として、雑談の機会が減った状況を省みて、雑談の重要性とこれからのあり方を考えました。この「雑談」に関する議論は、実はコロナ禍を通して真剣に考えるべきトピックにようやくなったのであって、これまでもチームとしてのコミュニケーションの少なさは個人的な問題(そしておそらく一般的な問題)として存在していました。今回に触れた「雑談」というコミュニケーションの存在とそのあり方について考察したことは、この問題の解決に少しは寄与できるのではないでしょうか5余談ですが、このコロナを通して、メディアリテラシーなどのこれまで問題視されていたことの解決が急を要するものになり、さらに問題が重要視されるという現象は他にも起きているように思えます。

参考文献

  • 西田亮介(2020)『コロナ危機の社会学 感染したのはウイルスか不安か』朝日新聞出版

Footnotes

1 西田亮介(2020)『コロナ危機の社会学 感染したのはウイルスか不安か』朝日新聞出版
2 ここでいう目的とは、あらかじめ設定されている参加者に共有されているものを指しています。厳密には、ミーティング外のコミュニケーションにおいても、参加者の片方または一部が勝手に目的をもって雑談をしているケースも考えられるからです(仲良くなりたい、自分の考えを整理したいなど)。
3 上で書いたように、雑談は偶発的であり、トピックがブレやすく制御しにくいものであるため、雑談の参加者が密かに目的を持っていたとしても、その目的が達成しにくい場合が多いと考えられます。そのため、ここでは、目的という観点からではなく、最終的に達成されうる成果をベースに考えます
4 勝手に生まれる雑談を作り出そうという時点でそれが雑談であるのかは疑問ですが、オンラインで作り出す以上、ある程度は意識的にならざるをえません。そもそも論として、「雑談」の重要性を意識するのであれば、それを意識的にオンラインで繋がりを作ろうとすることは容易ではあると思うのですが、このような意識改革的な観点はあまり好きではないので、ここでは割愛します。
5 余談ですが、このコロナを通して、メディアリテラシーなどのこれまで問題視されていたことの解決が急を要するものになり、さらに問題が重要視されるという現象は他にも起きているように思えます。

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