2020年夏。僕は大学院を休学して働く決断をした。
この春、大学で取り組んできたテーマをより深く研究したいと考え、その分野を専門的に学ぶことのできる大学院に進学した。意気揚々と入学した矢先、新型コロナウイルスが日本を襲った。様々なことが制限される生活を送る中で、「なぜ自分は研究するのか」「自分はこのままで良いのか」と悩み、そして葛藤の末、休学する決断をした。休学した理由は、大きく分けて二つある。一つ目はコロナで制限がかかる現状では、満足な教育が受けられないと考えたから。二つ目は、自分が取り組んでいる研究テーマ及び研究生活自体に疑問を感じたから。今回は二つ目に焦点を当て、感じたことを書き記していきたい。
ADVENT CALENDAR 2020―24日の投稿

12月1日から24日までクリスマスを待つまでに1日に1つカレンダーを空けるという風習に習って、記事を投稿するイベント、それがADVENT CALENDAR!
大学院進学まで
僕は元々野生動物に興味があり、大学では生態学について学びたいと思っていた。1年生の時に中山間地域でフィールドワークをする機会があり、その時初めて「野生動物による農作物被害」の深刻さを知った。人間が野生動物の生息を脅かしているとばかり思っていた僕は、中山間地域においては野生動物が脅威になっていると知り衝撃を受けた。それから鳥獣被害というテーマにのめり込むようになった。卒業論文も鳥獣被害をテーマに執筆し、そしてもっと深く学ぶため、大学院に進学した。
緊急事態宣言
新天地に引っ越して間もなく緊急事態宣言が出された。全ての授業、実習がオンラインになり、研究室に行くこともできなくなった。前期の授業の多くはフィールド実習形式であり、とても楽しみにしていたのだが、それらは中止となり、自宅のパソコンの前で講義を聞くだけの味気ないものとなってしまった。授業以外の時間は、課題や統計の勉強、研究計画の作成を行っていた。当初は、自宅で学習するのは移動時間が省ける分、効率が上がり、むしろプラスだと思っていた。しかしずっと同じ場所で勉強するのは集中力が続かず、また閉鎖された環境だと気持ちを切り替えるのが難しかった。中々満足するだけの勉強をすることができなかった。そんな背景もあってか、次第に自分が取り組んでいる研究テーマ及び研究生活自体に疑問を感じるようになる。
悩みと葛藤
この時期、僕は研究することの意義が分からなくなっていった。それには二つ原因がある。一つ目は、研究することにやりがいを感じられなくなってしまったこと。僕の研究のテーマは「地域での獣害対策」で、聞き取りやアンケート調査を行う予定だった。だが研究テーマを詰めていく中で、自分の研究は机上の空論を扱っていて「研究のための研究」ではないかと思うようになった。時間をかけて調べても地域に貢献することはできないのだと思い、その結果「何のためにやっているのだろう」と、研究にやりがいを感じられなくなってしまった。もう一つは、研究に興味を持つことができなくなったこと。卒論に取り組んでいる時も大変ではあったが、根本には「知りたい」という好奇心がありワクワクする気持ちに動かされていた。しかし大学院に入ってから、研究することに対して好奇心ではなく義務感を感じるようになった。
今振り返れば、たかが大学院の2年間で現場に貢献できるような研究をするのは不可能なことで、気負い過ぎていたと思う。意義がある研究をしなくてはならないと思いこんでいたせいで義務感に縛られたのかも知れない。
上で述べた「自分は何のために研究をするのだろう」という悩みが、研究生活自体に対する疑問、すなわち「このまま大学院で2年間過ごしていいのか」という疑問へと膨らんだ。
転機
そのような疑問を抱きながらも研究に取り組む日々を送っていたとき、ある仕事の求人情報を目にした。その仕事は、地域で獣害対策のサポートをするという内容で、学部の時から興味を持っていた仕事であった。その仕事に就いた時の生活を想像し、久しぶりにワクワクした。僕は仕事を始めた場合のメリット・デメリットを思いつくまま書き出し、特に重要なものをまとめた。メリットであると考えたのが、以下の4つである。
- 直接的な形で地域に貢献することができるので、やりがいを感じられる。
- 今まで学んできたことを、実践の場で活用できる。
- つまらない作業や雑用も、お金をもらえるならば納得できる。
- 現場を知ることで、地域の本質的な課題を知ることができる。
これらは全て仮説であり、期待通りになるかは未知数であった。仕事はそんなに甘くないという気持ちはあり、同時に今は研究より、働いた方が成長できるのではないかと思った。長い時間迷い、葛藤した。興奮で頭が熱くなり、色んな感情が渦巻いた。頭を冷やすために家を飛び出し、夜道をひたすら歩いた。そして休学し、働くという選択肢を選んだ。
働き始めて
そして僕はこの夏から仕事をすることになった。仕事を始めて思ったことなども書きたいのだが、長くなるのでここでは省略し、仕事を始める前に考えていた僕の仮説を検証をしたい。
1つ目、「直接的な形で地域に貢献することができるので、やりがいを感じられる」だが、これは正しくもあり、間違いでもあった。その人の問題を解決することができた時、「ありがとう」と言われた時は、やりがいと喜びを感じ、仕事をしていて良かったと思う。しかし、助けを求められても、自分ではどうしようもない事例もたくさんあり、その時は無力さと不甲斐なさを感じる。
2つ目、「今まで学んできたことを、実践の場で活用できる」だが、これは間違いだった。今の仕事では、得た知識のほとんどは役には立たかった。しかしこれは大学で学んだことに意味がないというわけではない。正確に言うならば、大学で得た「知識」はあまり役には立たないが、「考える力」「工夫する力」は非常に役に立っていると感じる。
3つ目、「つまらない作業や雑用も、お金をもらえるならば納得できる」だが、これはどちらとも言えない。
4つ目、「現場を知ることで、地域の本質的な課題を知ることができる」だが、これは正しかった。地域で働くというのは、見方を変えれば毎日フィールドワークをしているようなものである。今まで見えていなかった現場の実情が分かった。この経験は将来また研究を行う際に役立つと思う。
全て個人的な意見なので、参考にならないかも知れない。当たり前かも知れないが、研究も仕事も、どちらもいいことも悪いこともあり、目の前のことを一生懸命することに意味があるのだと感じた。最後になるが、仕事を始めて一番良かったと思うことは、「メリハリ」の付け方を学べたことだ。それは「大学院生」だった僕ができていなかったことであり、僕が再び「大学院生」になったときに生かそうと思う。