私は通訳者(翻訳者)を目指して、研究・勉強の傍ら、訓練に励む大学院生です。本記事では、そんな訓練生の目線から新型コロナウイルスの影響で必要性が高まった(同時)通訳者のスキルについてお話しします!
今年は生活が一変した方もたくさんおられると思います。学生の方であれば授業がオンラインに変わったり、お仕事をされている方ならテレワークに変わったりしたのではないでしょうか。このような変化は通訳者の身にも起こっているようです。通訳者さんのブログなどを拝見すると、通訳ガイドの方は案件がゼロになったり、会議通訳の方でもリモート通訳1「通訳者が現場とは別の場所から電話やオンラインシステム等を使用して行う通訳の総称」(the japan times, 2020)。要するに、通訳者のテレワークです。自宅などからインターネットを通じて(zoomなどのアプリを用いて)行う通訳のことです。ができるネット環境が必要になったりと、度合いは様々ですが、かなりの打撃を受けたことは事実なようです。
このことからもプロの通訳者を目指すなら、「テクノロジー」のスキルも必要だということは紛れもない事実なのです。それは、ただリモート通訳ができる環境を作れたら良いというわけではありません。当然のことですが、通訳を成功させることが大前提です。そのようなことを同時にこなすスキルが求められる時代なのです。
まず、通訳がうまくいくのはどういう状態であるかを「努力モデル」という理論を用いてご説明し、それに追加で「+T(Technology)」のスキルが必要だというお話をしたいと思います。
ADVENT CALENDAR 2020―21日の投稿

通訳者が行う作業の理論「努力モデル(Effort Model)」
同時通訳者は、「誰かの話を聞くこと」と「それを別の言語に訳すこと」をほぼ同時に行います。この記述は少し単純すぎるかもしれません。実は、通訳者は脳内でもっと複雑な作業を行なっているのです。それを説明しているのが、ダニエル・ジルの「努力モデル(Effort Model)」です。通訳に関わる努力2ここでの「努力」とは、いわゆる日本語の「努力」とは意味合いが少し異なり、「作業、処理、負荷」といった意味で使われます。松下(2018)でも述べられているように、「努力」が指すものは曖昧なので、本記事では「努力」=「作業」とし、それを実行するための技や能力のことを「スキル」と呼んでいます。(Effort=脳内で行う作業)を4つに分類し、その4つにかかる力のバランスを保つことができれば、通訳は成功するというのがジルの主張です。
以下の4つが「努力」です。
- L (Listening and analysis) =リスニングと分析(理解)
- P (Production) =訳出
- M (Memory) =記憶(短期)
- C (Coordination)=調整
*本記事では各努力について説明しませんが、詳しくはダニエル・ジル著『Basic Concepts and Models for Interpreter and Translator Training』をご覧ください。
ジルの主張を公式で表すと、
同時通訳=L+P+M+C
ということになります。
イメージとしては、自分のキャパシティの限界が100と仮定すると、1〜4に使う力を足して100以下で訳せれば、通訳は成功するというものです。そのため、私たちは力を100以下に収めながら訳出する練習を日々重ねているのです。
努力モデル+「T」
実際に、リモートでの同時通訳に触れる機会があったのですが、ただでさえ神業と言われる同時通訳がさらに難易度の高いものになっていることを肌で感じました。リモート通訳では、上記のスキルに加えて、テクノロジーを使いこなすスキルが求められるのです。例えば、通訳者自身の音質が悪い、ネットワークが不安定で音声が途切れる、など発生し得る問題は山ほどありますが、それを対処しなければなりません。さらに、同時通訳者は15~20分ごとに別の通訳者と交代しながら一つの案件をこなすのですが、パートナーの通訳者も遠隔のため、物理的な交代ができないという問題もあります。その通訳者の方々はインターネット回線の調整方法も把握されていて、スマホのアプリを用いてもう一人の通訳者と連絡をとって交代するといった工夫をし、上記のような問題があったのかなかったのかもわからないほど見事に通訳をこなされていました。
これまでだと、私たち訓練生が習得すべきスキルは、上記の4つをうまくこなすスキルだと考えられてきました。しかし、コロナ禍において通訳者の「テクノロジー」力というものが試されました。Matsushita(2020)で行われたアンケート調査でも、リモート通訳の需要が高まっていることが示されています。通訳を依頼する企業側としても、リモート通訳はコストなどの面から試す価値があると考えられているようです。それに対応できた人は探り探りでも仕事ができる一方で、対応できなければ仕事を引き受けることすらできないのです。そう考えると、現在の訓練生が身につけるべきスキルは、「努力モデル」の力のバランスを保つスキルだけでは不十分であることがお分かりいただけると思います。なぜなら、通訳をしながらテクノロジーを扱うことも必須となるからです。つまり、これは通訳の成功に大きく関わってくるスキルだと言えます。
そこで、「努力」の5つ目に「T(Technology)=テクノロジー」を追加して、独自に公式を作ってみます。
同時通訳=L+P+M+C+T
このようになるのではないでしょうか。
別の通訳者と交代するのも「T」で、ネットワークを安定させるために取る措置もインターネットの不具合による聞こえにくい音声への対処も「T」に入ると思います。同時通訳をしながら、テクノロジーの問題に対応するというのは、簡単なことではないと容易に想像できます。このことから「T」に対応する練習を今後は積んでいく必要がありそうです。
まとめ
新型コロナウイルスによって、私たちの生活は一変しました。テレワークを推奨する企業も増えていると聞きます。そのような風潮の中で、これまでなら現場に赴かないと難しいと考えられてきた通訳のリモート化もどんどん進みました。テクノロジーのスキルが必要なのは、通訳者も例外ではないということを改めて認識しました。
そのため、通訳の訓練生として身につけるべきスキルに、テクノロジーのスキルも含まれるのは当然だと思います。逆に言えば、テクノロジーのスキルを身につければ、通訳者は自宅からでもどこからでも通訳ができるようになります。それによって、通訳者にかかる身体的・物理的な負担は軽減されるかもしれません。テクノロジーのスキルは通訳者としての幅を広げることにもつながりそうです。
参考文献
- Gile, D. (2009). Basic Concepts and Models for Interpreter and Translator Training. Revised Edition. John Benjamins.
- the Japan times(2020)「通訳業界の最新動向」『通訳・翻訳キャリアガイド』
- サイマル・インターナショナル株式会社(2020)「withコロナをきっかけにさらに進化するサイマルの通訳・翻訳【サイマル通信 特別編】」『通訳・翻訳ブック』
- トランスユーロ株式会社(2020)『新型コロナによる通訳業界への影響と変化』
- 松下佳代(2018)『【第5回】通訳翻訳研究の世界〜通訳研究編〜「努力モデル」と「綱渡り仮説」』日本会議通訳者協会.
- 松下佳代(2020)『コロナ時代の遠隔(リモート)通訳を考える』HiCareer.
- Matsushita, K. (2020) “Can remote simultaneous interpreting be a game changer in the Japanese interpreting industry?”, Tenth IATIS Regional Conference.
- 村瀬隆宗(2020)「第6回今こそパラレルキャリアを」『通訳翻訳WEB』
- 日本会議通訳者協会(2020)『【第9回】翻訳・通訳会社へのクレーム処理「遠隔通訳のクレームⅡ」』