「産後」から捉え直すコロナの自粛期間 「ニューノーマル」を捉える一助として

コロナの自粛期間1本稿では、緊急事態宣言の出された2020/4/7〜2020/5/25を指すこととします。とは、「外に出られない生活」を眼前に突きつけられ、個々のレベルの差異はあるとしても、生活の変化に伴う不安に、個人・地域・社会・国家・世界が同時多発的に向き合った期間だと言えるのではないでしょうか。一方で、これまで「外に出られない生活」を送ってきた人々にとっては、「非日常」とみられていた生活が一変、「日常」と化した出来事でもありました。本稿では、コロナの自粛期間を筆者の「産後」の経験と照らし、1.価値の転覆と2.「外」との接触回避という類似点をあげます。そこから、「外に出ない」とは「自分を守る」という行為であること、それは必然的に不安を伴うものであることについて考察します。その上で、コロナの自粛期間とは、「外に出られない人たちの生活を、外に出られていた人たちが半強制的に追体験する」グローバルな現象として捉える見方を提起したいと思います。

ADVENT CALENDAR 2020―11日の投稿

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1. 価値の転覆:「日常の非日常化」、「非日常の日常化」

「究極の自粛生活」を強いられる一つの出来事として、筆者の経験に照らして「産後」をとりあげたいと思います。「産後」における「日常の非日常化」、「非日常の日常化」という価値の転覆を今回のコロナになぞらえ、価値の転覆とは実は、個々人のうちに頻発して生じている、あるいは生じる可能性があるものだという点を指摘します。

妊娠期に生じる、食欲の急な増減や突然の嘔吐といったいわゆる「つわり」は、異質な他者(精子)への抵抗の表れという意味で「日常の非日常化」の期間です。妊娠期の「非日常」には程度差がありますが、「産後2「産後」を指す言葉には「産褥期」と「産後の肥立ち」というものがあります。一般的に、前者は出産後4〜6週までを指すのに対して、「産後の肥立ち」は出産後100日までを指すという。「産褥期」にあたる期間は、家事をせずに身体を休めることが推奨されています。(一般社団法人日本産後ケア協会のページ「ニッポンの産後ケア」【最終確認2020/12/11】)。この時期を含む出産・子育てのインタビューを実施した秦・岡本・井出(2017)では、日本(東京、栃木、茨城)・イギリス・アメリカという3カ国でのインタビュー調査を通して、出産・子育てに対する規範の異なりをナラティブの「語られ方」から比較・分析しています。日本国内でも産後の生活に対する価値観が、地域・時代別によって異なることがナラティブを通して示されています(秦かおり・岡本多香子・井出里咲子(2017)『出産・子育てのナラティブ分析―日本人女性の声にみる生き方と社会の形―』大阪大学出版会.)。
また、上海出身の筆者の友人によれば、中国ではこの期間を「坐月子(ツォーイエー)」と呼び、「この期間を大事にしないと一生、身体に支障が出る」と、親戚の中で誰かが出産をするにつけてこのような会話が交わされるのだといい、そのための専門機関もあるとのこと(2020/10/16)。日本では、厚生労働省の産前・産後ケアに関する政策立案として「健やか親子21」の第二次計画(2015年度〜2024年度)があり、「産後ケア」の実施は拡充方向にある。
・産前・産後サポート事業7億7700万円の予算(平成31年度):実施主体は市町村(委託可)
・産後ケア事業には25億5100万円の予算(平成31年度):実施主体は市町村(委託可)
・女性健康支援センター事業(全国73カ所)には1億1300万円の予算(平成31年度):実施担当者は医師・保健師・助産師
厚生労働省「第1回 妊産婦に対する保健・医療体制の在り方に関する検討会」(平成31年2月15日)の資料『妊産婦にかかる保健・医療の現状と関連施策』【最終確認2020/12/11】
」は逆に「非日常の日常化」の期間といえます。どう考えても24時間サイクルでは生きていない生物との対峙という点において「非日常の日常化」が否応なく要求されるのです。それは、《お腹すいた》《ねむたい》《なんかいや》《さみしい》等々、高度に感覚的な対話の世界であり、時計も、言語も即時的には全く意味をなさない「非日常」です。

産前産後で起こる「日常の非日常化」、「非日常の日常化」という価値の転覆を今回のコロナと照らせば、コロナもまた目に見えないウィルスと緩やかに共存しながら過ごしてきた日常が、ひとたび「脅威」となり「脅威」が常態化するという「日常の非日常化」、「非日常の日常化」をせまられている点に類似性をみることができるのではないでしょうか。このような価値の転覆は大きな話ではなく、個々人の生活において様々なレベルでは頻発しており、むしろこのような価値の転覆が起きることこそ「日常」と捉えられるのではないでしょうか。これまでの当たり前が当たり前ではなくなることは、いつ起きても不思議ではなく、そのような危うさは実は誰しも潜在的に持っており、どこかのタイミングで向き合うものなのだということ、コロナはこのことを全世界に、ある意味で「平等」につきつけたのではないかと考えます。

2.「外」との接触回避:「外に出ない」は「自分を守る」という行為である

また、「外」との接触が極端に減るという点も自粛期間と「産後」の類似点です。身体の痛みや赤ちゃんを連れた外出への困難という物理的な接触の回避と、「親」となったことで向けられる社会的役割や社会的な眼差しにさらされることへの社会的な接触の回避があると考えます。この回避のために、産後の赤ちゃんとお母さんは密室空間に取り残されがちです。それは、「自分を守る」ための行為であるにも関わらず、不安を伴うものです。この点についてコロナの自粛期間と照らして何が起きているのかを考えたいと思います。

自粛期間によって自明となったのは、外に出られない生活を送る人たちは第一に「自分を守る」ための行為を行なっているということ、第二に外に出られない生活は根本的に「不安を伴う」ということではないでしょうか。まず一点目に関して、外に出ないでずっと家にいるということは、これまで短絡的に「ひま」で時間をもてあましている、あるいは「何もしていない」とみなされがちでした3「ひま」をめぐる考察については國分功一郎 (2015)『暇と退屈の倫理学』(太田出版)に詳しい。。このような見方は全くもって誤りであり、「外に出ない」とは何よりも「自分を守る」という行為を全力で「行なっている」ということ、このことの社会的な合意形成がなされたのではないかと考えます。「自分を守る、家族を守る、大切な人を守る、社会を守る、感染しない、させないための行動」 4新型コロナウィルス感染症対策と都民生活や経済を支える東京都緊急対策(第四弾)」p.2(令和2年4月15日)【最終確認2020/12/11】といった発言が繰り返されることで、「外に出ない」ということが、自分ひとりもしくは家族という閉じた空間で完結した出来事ではなく、その先の「社会」へとつながっている出来事であるという視座が強調されることは、一つ重要な転機ではなかったかとみています。

ここまで、外に出られない生活は「外」で生じる出来事から自分を守るという「行為」であるとみました。次に、この行為が潜在的に不安を伴うことについて考えたいと思います。「外」で生じる出来事から自分を守るとは、「外」で生じる出来事から受ける「傷つきやすさ」を回避しているという点で、安心・安全を志向するものです。にも関わらず、この「傷つきやすさ」の回避には不安が伴うのはなぜでしょうか。それは、「自分を守る」という行為が、傷つきやすさの回避を「押し付けられている」状態でもある、ということにあるのではないかと考えます。つまり「自分を守る」とは、「外」という自分ではどうしようもない世界に「動かされて」いる状態なのです。この状態は、「みずから」のうちに起きたものではないので、「自分を守る」とはつまり、徹底的に「みずから」の領域が最小化されている事態、自分が何もできなくなってしまっている状態を「強いられている」ということでもあるのです。その意味で「外」に出ないことで「自分を守る」には、相反する二重の意味が含まれているのです。仮に「自分を守る」主体が特定できたとして、それは「自分」ではなく、「自分を守る」を強いられている要因はみずからのうちにはないという点に、漠然とした不安を抱える根本的な要因があるのではないかと思うのです。

おわりに

本稿では、コロナの自粛期間を「産後」における価値の転覆および「外」との接触回避という2つの類似点から捉え直すことを試みました。コロナで生じた価値の転覆こそが「日常」であるのではないかという点、また「外」に出ないとは「自分を守る」行為であると同時に、「強いられている」状態であり、ゆえに不安を伴う点を指摘しました。以上より、コロナの自粛期間とは「外に出られない人たちの生活」の追体験であり、そのグローバルな共時経験であったと捉え直す見方を提示したいと思います。自粛期間の振り返り・意味づけを行うことによって、ウィズ・コロナの「ニューノーマル」とはすでに誰かにとっての「ノーマル」であったことを確認するとともに、その人々たちの生活を捨象するのではなく、むしろ生の本質的に多様なあり方を包含する概念として「ニューノーマル」を捉える視座を広げることができるのではないかと考えています。

Footnotes

Footnotes
1 本稿では、緊急事態宣言の出された2020/4/7〜2020/5/25を指すこととします。
2 「産後」を指す言葉には「産褥期」と「産後の肥立ち」というものがあります。一般的に、前者は出産後4〜6週までを指すのに対して、「産後の肥立ち」は出産後100日までを指すという。「産褥期」にあたる期間は、家事をせずに身体を休めることが推奨されています。(一般社団法人日本産後ケア協会のページ「ニッポンの産後ケア」【最終確認2020/12/11】)。この時期を含む出産・子育てのインタビューを実施した秦・岡本・井出(2017)では、日本(東京、栃木、茨城)・イギリス・アメリカという3カ国でのインタビュー調査を通して、出産・子育てに対する規範の異なりをナラティブの「語られ方」から比較・分析しています。日本国内でも産後の生活に対する価値観が、地域・時代別によって異なることがナラティブを通して示されています(秦かおり・岡本多香子・井出里咲子(2017)『出産・子育てのナラティブ分析―日本人女性の声にみる生き方と社会の形―』大阪大学出版会.)。
また、上海出身の筆者の友人によれば、中国ではこの期間を「坐月子(ツォーイエー)」と呼び、「この期間を大事にしないと一生、身体に支障が出る」と、親戚の中で誰かが出産をするにつけてこのような会話が交わされるのだといい、そのための専門機関もあるとのこと(2020/10/16)。日本では、厚生労働省の産前・産後ケアに関する政策立案として「健やか親子21」の第二次計画(2015年度〜2024年度)があり、「産後ケア」の実施は拡充方向にある。
・産前・産後サポート事業7億7700万円の予算(平成31年度):実施主体は市町村(委託可)
・産後ケア事業には25億5100万円の予算(平成31年度):実施主体は市町村(委託可)
・女性健康支援センター事業(全国73カ所)には1億1300万円の予算(平成31年度):実施担当者は医師・保健師・助産師
厚生労働省「第1回 妊産婦に対する保健・医療体制の在り方に関する検討会」(平成31年2月15日)の資料『妊産婦にかかる保健・医療の現状と関連施策』【最終確認2020/12/11】
3 「ひま」をめぐる考察については國分功一郎 (2015)『暇と退屈の倫理学』(太田出版)に詳しい。
4 新型コロナウィルス感染症対策と都民生活や経済を支える東京都緊急対策(第四弾)」p.2(令和2年4月15日)【最終確認2020/12/11】

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