オンライン授業、テレビカンファレンス、Zoom飲み…。この一年を振り返ると、インターネットを利用したコミュニケーションが中心で、今年ほど「一人、PCの前で笑顔!」な年はなかったなと思います。けれど、もしかすると今後も続くのかもしれませんね。
Stay homeな今年、みなさんは誰とどんなことを話しましたか?
ADVENT CALENDAR 2020―10日の投稿

12月1日から24日までクリスマスを待つまでに1日に1つカレンダーを空けるという風習に習って、記事を投稿するイベント、それがADVENT CALENDAR!
インターネットは,人を繋ぐのか。孤独にするのか。
携帯電話やインターネットを通じたコミュニケーションが人間関係に与える影響については、90年代後半~2000年の急速な普及期から様々に検討がされてきました。
初期は、ネットを通じたコミュニケーションに対する受容性の世代間ギャップに焦点が当てられ、若者が「携帯に夢中」で、家庭内の会話が減ることや、知らない他者と繋がることの危険性を指摘する報道が多々ありました。カーネギーメロン大学の研究グループの「本来、コミュニケーションを豊かにするはずのネットの利用が、逆に孤独感や抑うつ感を強める」という“インターネット・パラドクス(逆説)”の発表は、対人コミュニケーション研究に大きなインパクトを与え、ネット利用とコミュニケーションに関する議論が学術的にも社会的にも活発にされました。
その後、ネット利用がある程度定着すると、ネットはオフライン社会を反映するようになり、つまり現実の友達や家族のコミュニケーション量や内容が、オンラインでのコミュニケーションにおけるそれと関連するようになります。ビジネス領域での活用や、実名でのSNS利用が当たり前になり、オフラインでの社会活動とオンラインでの社会活動はほぼ=(イコール)になりつつある場面も増えてきました。さらには、ネット利用を通じたオンラインでのコミュニケーションが、オフラインでのコミュニケーションを増やし、関係性を深める効果があることも指摘されています。まずは、「LINEを交換」し、関係を構築するのは、ある意味今では当たり前でもありますね。
勿論、オフライン世界とオンライン世界が完全に一致してきているかというと、異なる部分も沢山あります。オンライン世界特有の世界(コミュニティ)ももちろんあって、利用者の動機によって異なる、多様な使われ方がされるようになりました。利用動機によって構築されるコミュニティのネットワーク構造(繋がっている人の多さや、繋がりの強さ)や情報伝播の方法も異なり、その特徴が社会心理学や情報科学の分野で明らかにされてきています。
利用動機が多様であれば、その利用に対する受け止め方も多様になります。オンライン、オフラインの「いい部分」をそれぞれ各人が判断し、取り入れるようになりました。
しかし、コロナ禍でのオンラインコミュニケーションの増加は、こうした自然な社会の変化に基づく「個人の動機」に基づく利用増加ではありません。コロナ禍では、仕事、教育…様々な場面で、強制的にオフライン世界での社会活動がオンラインに形を変えられました。
私の世界とあなたの世界。
コロナ禍とネットを通じたコミュニケーションについて私見を述べる前に、もう一つだけ、論点を紹介させてください。
ネット利用が生み出す「分断」や「格差」についてです。
ネット環境に対するアクセシビリティの問題以上に(これはそのうち解決されるでしょう)、今後社会問題になると考えられるのは、個人がアクセスする情報の個人化と、その個人の“現実感(≒社会に対する認識や考え)”に与える影響です。
デジタル技術が進み、情報空間には膨大な情報があふれるようになりました。人間がアクセスしたり、認識できる情報量は限られているため、自分が情報を絞る必要があります。
こうした情報過多に伴い発達した技術が、情報の個人化(Personalized)に関するものです。個人化する方法は、情報受信者(利用者)自身が行うものと、機械的処理によるものに分けられます。情報受信者が行うものは、専門的には「カスタマイズ可能性」と呼ばれ、例えば、SNSにおけるタイムラインの表示設定や、Twitterにおけるフォロー・リストの作成等が挙げられます。機械的処理は、動画配信サイトやインターネットショッピングにおけるレコメンド(自動推薦)機能がイメージしやすい人も多いでしょう。
情報利用者によるカスタマイズと機械的処理による情報の選別が同時に行われることにより、私達が目にするものは、「自分だけ」のものであります。この現象をユーザーが見たいものしか見えなくなる現象を、専門的には永続的個人化、フィルターバブルと言ったりします。
さらに、ネット上は情報の受信だけでなく、発信も容易になりました。自分が情報を伝える相手も私達は「カスタマイズ」することができます。一般公開し不特定多数に伝えることも、既知の知人だけに伝えることも、特定の趣味のグループだけに伝えることもできます。誰と、どう繋がり、何を伝えたいのか全て自分で設計できますし、無意識であっても設計されているという事があるという事です。
つまり、私達は自分だけに表示された情報を基に世界を認識し、自分が作り上げたコミュニティや個人を相手にコミュニケーションを行っているという側面が多かれ少なかれあります。
そして、こうした「私の世界」が、世界に対する認識を歪め、態度を固定化し、排外意識を高めコミュニティの分断を生むことは想像に難くないでしょう。社会的には、政治的分極化とメディアの分極化の関連が指摘されて久しいですし、私達の日常においても、自分と考え方や社会経済的地位の異なる人との出会いは減っていることは実感できるのではないでしょうか。
地図にのらないもの。
不要な外出を自粛し、Stay homeが要請された今年、「それでもオフラインで会う」機会もあったでしょう。それは誰と何のためだったでしょうか。仕事の打ち合わせや教育かもしれませんし、友人や恋人との交流のためかもしれません。そして、そこで共通しているのは、きっと「オンラインでは事足りない」からではなかったでしょうか。
ネット利用を通じたコミュニケーションを考えるにあたり、オンライン世界とオフライン世界のそれぞれの良い部分を自分なりに解釈して取り入れていた段階と、今回のコロナ禍のように、強制的にオフラインでの社会活動がオンラインに形を変えられた状況では、先述した「私の世界」 が持つ影響力が変わってきます。
今までの「私の世界」は、オフライン世界とは隔離された存在としてありました。完全に趣味の世界であった場合もあるし、オフラインを補完する位置づけでのオンライン世界であることが多かったからです。しかし、コロナ禍におけるオフラインは、オンラインを補完するという位置づけであったと考えられます。そして、昨今のデジタル化の流れ、オンライン世界の拡大を踏まえると、オンラインで醸成された現実感を基に、オフラインでの行動が規定されることは増えていくでしょう。
こうした状況を前に、「私の世界」の地図には存在しない、コミュニティや考え方とどう向き合うのかについて、今一度向き合って考えることが必要なのではないでしょうか。
おわりに
このように書くと、私はオンライン世界の拡大にネガティブな印象を持っているように感じられるかもしれませんが、全くそうではありません。
むしろ、不謹慎かもしれませんが、個人的なことを言えば、自分のお気に入りの空間で、好きな人とだけ一緒にいて、話したいことだけ話して、自分の研究や執筆活動に集中することができた今年は最上級に幸せでした。
オンライン世界の拡大は自然の流れだと思っているし、むしろオンラインコミュニケーションが持つ可能性の大きさを強く認識しています。でもだからこそ、ネット利用に大きな変化が起こっている今この時期に生きる者として、ネット利用の特徴を踏まえた、オンライン上のコミュニティ設計を考える必要があると思っていま