地域研修プログラムで起こりうる「這い回る経験主義」とは?

どうも、こんにちは。平岡駿です。昨年の今頃は大学院を休学し、小布施町で教育とまちづくりに関わることをしていました。

上記のような学習プログラムの運営を任せてもらい自分の中では多くの学びがあり、加えて多くの仲間が出来たと感じます。自分は本当にお手伝いしただけでしたが、いいプログラムができたと自信を持って言えます。

また2018年の9月から1年間地域に関わってみて、上手くいったこと上手くいかなかったことが色々ありました。むしろ上手くいかなかった事の方が多かったなと強く感じます。

今回は地域での活動を経て、小布施以外の他の地域の活動にもすこしだけ関わる中で自分が感じる「違和感」について言語化してみようと思います。

地域で活動したいと思っている学生さんたちや、課題解決型の学習プログラムを設計する立場の方に読んでもらえたら幸いです。

平岡駿

学習の動機づけのために選んだ「教育」という分野の奥深さや困難さ,その中にある人間らしさに魅了され気付いたら大学院に入院していました。専門分野は技術科教育/教育工学ですが,教育社会学や教育哲学,比較教育,教育史なども非常に興味があります。FabLabNaganoで学生ディレクターも務めています。

ADVENT CALENDAR 2019―6日の投稿

12月1日から24日までクリスマスを待つまでに1日に1つカレンダーを空けるという風習に習って、記事を投稿するイベント、それがADVENT CALENDAR!

地方で行われるようになった課題解決型研修プログラム

地域活性化、地方創生という活動の中には、「よそ者、若者、馬鹿者」が必要だとよく言われます。これは地域における困難な課題を解決するには、様々な事柄を気にせずに地域でイノベーションを起こすような突破力を持った人材がほしいということだと思います。(地域の住民が他の住民の理解を得ながら実施している地方創生もあるので必須条件ではないですね。)

いずれにしても若者が地域にいて、次世代を担ってくれるということはとても大事なことです。

そうした文脈も踏まえると、若者を育成する(教育・研修する)×地域の課題を解決するというワークショップや学習プログラムが考えられるのも非常によくわかります。僕が昨年度小布施町で行った研修プログラムも一部分においてそうでした。最近はそういった地域課題解決研修プログラムが増えてきてます。

例えば、ヤフー株式会社が実施した北海道美瑛町での異業種人材育成研修「地域課題解決プロジェクト」や長野県塩尻市で行われている協働リーダーシッププログラム「MICHIKARA」やソフトバンクと地域が共同で開催する課題解決型インターンシップ「TURE-TECH」‥

僕が知っているだけでも他にいくつもの学習プログラムが開発・実施されてきています。

企業や社会人においても新たな人材育成や人材交流の場となり、地域は本当に困っている課題の解決策が生まれるかもしれない。生まれないにしても、優秀な人材が地方に来てくれる関係性が残る。

学生たちが参加する場合も、課題を構造的に捉えたり、解決策を多様な仲間たちと一緒に解決するなど、いち早く課題解決能力や問題発見能力、リーダーシップなど様々な力をつけるチャンスになります。 そのためこういった学習プログラムはニーズと共に増えてきたのではないかと思います。

「這い回る経験主義」

ここで少し話を変えて「這い回る経験主義」について説明したいと思います。

アメリカの哲学者ジョン・デューイ(John Dewey, 1859-1952)はプラグマティズムを代表する思想家ですが、教育に関する思想・哲学にも多大な影響を与えました。

「経験と教育」といった著作に代表されるように、子ども自身の好奇心を刺激するより質の高い経験ができる環境を整え、経験を練り上げ高い次元へと再構成し続けていく学習を重要視しました。

こういった文脈で日本ではデューイの思想を「経験主義教育論」として捉え、「実践すること」を重要視しました。これらは国家レベルでも必要だと感じられ、学習指導要領でも日常生活の経験に結び付け、問題を設定し、教科の枠組みを越えて問題解決能力を育成する時間として「総合的な学習の時間」等も設置されました。

ところが、生活経験を重視し過ぎた結果、活動自体に学習の要素が少なかったり、学問体系を軽視した断片的な学習になってしまったり、活動という手段であるべきものが目的化してしまうという問題点も多く出てきました。

こういった本来の意図から離れてしまった経験主義学習を「這い回る経験主義」と揶揄することがあります。

地域課題解決研修プログラムは「這い回る経験主義」?

地域課題解決研修プログラムは実は非常に設計の難しい学習プログラムです。本当に困っている自治体と学習をしたい参加者(及び運営側)達では、実はニーズを相互に補完しえない可能性があるのです。

解決策の提案辿り着かなかったり、そもそも課題の深堀りがされないまま提案フェーズに来ると提案内容も課題に対してアプローチができていないものになりがちです。また「せっかく手伝ったのに何も変わらない・・・」という地域側の疑念を膨らませてしまい、外から来る人を受け入れなくなってしまう危険性もあるのです。

そのため設計者としてはかなり入念な準備が必要になってきます。

  • 何を学びとするのかを決めていく学習コンテンツの設計。
  • 参加者や地域側相互のニーズの入念なヒアリング。
  • 状況に応じたニーズに応えられるようなメンタリングサポート。
  • またそれらを実現するための運営体制の確保等々‥。

それらが不十分なまま進めば、誰も幸せな結果にはなりません。

よくあるのが不十分な状態で高校生向けにプログラムを実施した結果、
「ただただ自分たちの居場所が欲しい」
「テレビやメディアに注目されるような慈善活動をしたい!」
「何したらいいか分からないけれどSDGsを絡めて考えよう」
というような高校生たちの提案です。まさに「這い回る経験主義」です。

それを防ぐために、実践者はデューイをはじめとした教育哲学や思想を読むことや実際に実践されたプログラムの報告書や研究論文を参考文献として引用し学習コンテンツに活かす。そして実践者が謙虚に学び、実践を重ねる中で改善していく態度と行動力が必要ではないかと思います。まさにLearning by Doing(為すことによって学ぶ)が重要だと感じます。また仲間づくりも大事です、学習はコミュニティの中で作り上げていく方が断然クオリティが高いと感じています。

これは自分自身への自戒の意味も込めて書きました。一朝一夕で上手くいく事ではありませんが、やはり自分も専門が教育である以上ただただお金や時間を散在させるようなプログラムにはしたくないです。こういったプログラムを行う際には、自身の活動が「這い回る経験主義になっていないか?」「僕の運営しているプログラムがそうなのではないか?」と常に考えていきたいものです。

Writer

学習の動機づけのために選んだ「教育」という分野の奥深さや困難さ,その中にある人間らしさに魅了され気付いたら大学院に入院していました。専門分野は技術科教育/教育工学ですが,教育社会学や教育哲学,比較教育,教育史なども非常に興味があります。FabLabNaganoで学生ディレクターも務めています。