Everything Flows

今はなき東京大学教養学部基礎科学科には、『構造幾何学』という講義があった。

講義名に幾何学と入っているので、何らかの図形の性質について理解するための数学の講義と思うのが普通である。しかし実際は、化学反応や生態系、電気回路などに見られる、動的現象一般を理解するための数学についての講義であった。

では、動的現象を理解することが目的であるのにもかかわらず、なぜ『構造幾何学』などという講義名なのだろうか?今回は、私が学部3年生のときに受講し、知的衝撃と興奮、新たな視点を私に与えてくれた、『構造幾何学』について書いてみようと思う。

水野雄太

現在は大学で化学反応のダイナミクスを研究しています。昔から地図や図鑑が好きだったので、複雑なダイナミクスの構造をダイアグラムによって図解するための理論的手法の開発が私のライフワークです。また、基本的に動くものや流れるものが好きなので、今後は化学反応以外のダイナミクスの研究もしていきたいと思っています。博士(学術)(東京大学)。

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動的現象を数学的に記述する

『構造幾何学』の話に入る前に、『高校物理』の話をしたい。

『高校物理』も、私に知的衝撃と興奮を与えてくれた科目である。高校2年の頃、はじめて物理の授業を受けた私は、物体の運動を数式で記述できることに感動した。

曰く、運動は位置の時間変化であり、数学的には時間の関数としての位置x(t)で表される。この関数x(t)は、運動方程式ma=Fに従う。ここでaは加速度であり、x(t)の時間tに関する二階微分である。時刻t=0で位置x0にあり、速度がv0であったとすれば、投げ出された球は放物線を描いて距離Lだけ飛ぶ、云々。

この例のように、一般に、(決定論的な)動的現象の多くが、何らかの量の時間変化を表す関数x(t)で表現され、その関数が従う方程式は (x(t)の時間微分) = (何らかの関数) の形で表される。このような方程式を微分方程式という。生体内反応を含む化学反応や神経細胞の活動、生態系や人口動態、電気回路の挙動などの様々な動的現象が、微分方程式によって記述できる。

大学に入学してからの2年間、私は様々な分野の講義で、このような微分方程式に出会った。そして、以下のようなことを習った。その分野で記述すべきx(t)は何であるか(物体の位置、化学種の濃度、神経細胞の活動電位など)、そのx(t)が従う微分方程式はどのような形をしているのか(運動方程式、反応速度式、Hodgkin-Huxley方程式など)、その微分方程式を解いてx(t)を求めるにはどうすればよいか、x(t)を手で求められない場合にどのようにコンピュータでx(t)をシミュレートすればよいか、などである。

こうして、「注目する量の時間変化x(t)の従う微分方程式を、紙と鉛筆、あるいはコンピュータを使って解くことで、動的現象一般を理解できるのだ」という視点を私は獲得していった。

動的現象を幾何学的に理解する

「動的現象を理解する=微分方程式を解いてx(t)を求める」という視点は確かに重要ではあるのだけれど、他にも動的現象を理解する視点はあるのだ、と私に教えてくれたのが『構造幾何学』の講義であった。

これを説明するために、おもりと棒からなる振り子の運動を考えてみる。振り子が鉛直線となす角をθとする。θ=0は振り子が鉛直下向きであることを示し、θ=πは振り子が鉛直上向きであることを示す。振り子の運動方程式は、
$$\frac{d^2θ}{dt^2}=-sinθ$$
と表せる。この方程式は速度vを用いて、
$$\frac{dθ}{dt}=v$$
$$\frac{dv}{dt}=-sinθ$$
のようにも表せる。

ここで、上記の微分方程式を直接解く代わりに、縦軸v横軸θの平面を考える(図1)。この平面は「相平面 phase plane」と呼ばれる。初期条件を定めた時の微分方程式の解(θ(t), v(t))は、この平面上の曲線となる(図1中の青線)。(θ, v)を定めればその後の運動は1つに定まるので、この平面内では運動を表す曲線が分岐したり、互いに交差することはない1(θ,v) = (π,0)で青線が交わっているように見えるが、実際にはこの点に四つの解曲線が漸近しているだけであり、それらは互いに交差してはいない。。この解曲線(θ(t), v(t))の各点における接ベクトルは(\(\frac{dθ}{dt}\),\(\frac{dv}{dt}\))であり、それは微分方程式の右辺そのものである。図中の赤矢印は、この接ベクトルの方向を表している。

図1 単振り子の相平面の様子(相図 phase portrait)

こうして眺めてみると、赤矢印の様子が、相平面上の「流れ」のように見えてこないだろうか?より具体的なイメージをもつために、相平面上に置いた点が、この赤矢印の流れによって運ばれるときの軌跡を想像してみよう。

図1中で、(θ,v) = (-π/4,0)(図中緑点)に点を置けば、その周辺では赤矢印が(0,0)を中心に渦巻いているので、点は相平面上で楕円を描くことが想像できる2「楕円にならず、渦を巻ながら(0,0)に近づいていく」などの可能性も考えられるが、それについてはより詳しい解析により、軌跡が楕円状になることを示せる。『Hirsch・Smale・Devaney 力学系入門 ―微分方程式からカオスまで―』などの教科書を参照していただきたい。θだけを見れば、-π/4π/4の間を振動することになるので、これは振り子の振動運動に対応する。

同様に、(θ,v) = (0,2.5)(図中黄点)に点を置けば、その周辺では赤矢印が右向き一方通行の流れを作っているので、点は相平面内で右方向に一方通行的に流れていく。θだけを見れば単調増加するので、これは振り子の回転運動に対応する。(鉛直下向きの振り子に十分勢いよく初速度を与えれば、振り子は棒の支点周りにぐるぐる回転する。)

振り子以外の例も示そう。図2は、『構造幾何学』の講義で出された課題の解答の紙片を、私が教科書に挟んで保存していたものである。残念ながら問題文は紛失してしまったが、この課題で出された微分方程式は
$$\frac{dx}{dt}=f(x,y)$$
$$\frac{dy}{dt}=g(x,y)$$
の形であり、関数fgは高校数学で出て来る程度の簡単な数式として与えられている。

上記の微分方程式の解は手計算で求めることが難しい類のものであったと記憶している。それでも、微分方程式の右辺から、相平面上の流れを決める矢印の大まかな方向を書き込むことは容易である。というのも、その矢印はベクトル(\(\frac{dx}{dt}\),\(\frac{dy}{dt}\))=(f,g)であり、例えばf(x,y)>0, g(x,y)>0となる点(x,y)では矢印の向きは右上、f<0, g>0となる点では矢印の向きは左上など、定性的に判別がつくからである。図中の青線は曲線f(x,y)=0、赤線は曲線g(x,y)=0であり、これらの線3「ヌルクライン」という。を境に矢印の向きが変わるので、これらは“補助線”としてよく用いられる。また、両曲線の交点は(\(\frac{dx}{dt}\),\(\frac{dy}{dt}\))=(0,0)となる点であり、この点に初期条件を選ぶと、解はその点から永遠に動かないので、これを不動点という。

これらの定性的な矢印の様子と、解曲線が互いに交わらないという性質、(必要な場合)不動点周りの流れに関する解析4例えば、不動点の近くで、解は楕円を描くのか、渦を巻きながら不動点に近づいていくのか、離れていくのか、などを判別するためには、より詳細な解析が必要となることがある。により、相平面上の解曲線の概形を図2のように描くことができる。

図2 『構造幾何学』の課題で描いた、ある微分方程式の相平面の様子の概形

このように、微分方程式を“解かなくても”、微分方程式が定める矢印の様子から、微分方程式の解の相平面上での概形を描くことができ、さらには解の定性的分類(振り子の場合なら、振動運動と回転運動)もできるのである5相平面上で定性的に異なる解曲線(例:振動/回転)を分かつ特別な解曲線(セパラトリクスなどと呼ばれる)を定量的に求めておけば、どんな初期条件が与えられても、その解の定性的分類を正確に行うことができる。。これは、「(ある初期条件のもとでの)微分方程式の解x(t)を求める」という視点とは異なる視点である。動的現象を相空間内6変数が2つの場合は相平面、3つ以上の場合は相空間と呼び名が変わる。の流れとして捉え、その流れの構造を調べることで、複雑な現象を理解するという視点こそが、『構造幾何学』という講義の主眼であった(と私は思っている)。

以上の大雑把な議論をより精緻化したものが、「力学系」と呼ばれる数学であり、『構造幾何学』の講義主題である。その詳細については、『Hirsch・Smale・Devaney 力学系入門 ―微分方程式からカオスまで―』などの教科書を参照していただきたい。また、現在私は化学反応ダイナミクスの相空間幾何学についても研究しているが、それについては別の機会に解説することにする。

Everything flows

動的であることを「流れ」で譬えることは、古今東西よく見られる。2500年前のギリシャの自然哲学者ヘラクレイトスは「万物は流転する(Everything flows)」と言った(ということになっている)。力学系の立場から言えば、「Everything flows」は、単なる比喩を越えた、1つの普遍的な科学的視点を表す標語と言えるだろう。

Footnotes   [ + ]

1. (θ,v) = (π,0)で青線が交わっているように見えるが、実際にはこの点に四つの解曲線が漸近しているだけであり、それらは互いに交差してはいない。
2. 「楕円にならず、渦を巻ながら(0,0)に近づいていく」などの可能性も考えられるが、それについてはより詳しい解析により、軌跡が楕円状になることを示せる。『Hirsch・Smale・Devaney 力学系入門 ―微分方程式からカオスまで―』などの教科書を参照していただきたい。
3. 「ヌルクライン」という。
4. 例えば、不動点の近くで、解は楕円を描くのか、渦を巻きながら不動点に近づいていくのか、離れていくのか、などを判別するためには、より詳細な解析が必要となることがある。
5. 相平面上で定性的に異なる解曲線(例:振動/回転)を分かつ特別な解曲線(セパラトリクスなどと呼ばれる)を定量的に求めておけば、どんな初期条件が与えられても、その解の定性的分類を正確に行うことができる。
6. 変数が2つの場合は相平面、3つ以上の場合は相空間と呼び名が変わる。

ADVENT CALENDAR 2019
テーマ:日常の視点が思わずゆらぐ学習・活動秘話

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ADVENT CALENDAR 2019のテーマは「日常の視点が思わずゆらぐ学習・活動秘話」です。普段は当たり前のようにこなしている仕事やそれに必要な考えやノウハウも、そのことにとりわけ関わりのない人にとっては「思いもかけない」ことでしょう。今回、一年を振り返る間際の12月、面白い・意義深い考え方や知識、あるいは実際に日常の活動を行う中で見出している応用可能性の高い学びや経験を「ことば」にしてみませんか?

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Writer

現在は大学で化学反応のダイナミクスを研究しています。昔から地図や図鑑が好きだったので、複雑なダイナミクスの構造をダイアグラムによって図解するための理論的手法の開発が私のライフワークです。また、基本的に動くものや流れるものが好きなので、今後は化学反応以外のダイナミクスの研究もしていきたいと思っています。博士(学術)(東京大学)。