はじめまして、きょんすけです。日本語教育学を専攻しています。言語と日本語教育、研究の魅力を紹介しましょう!!
ADVENT CALENDAR 2018―7日の投稿

12月1日から24日までクリスマスを待つまでに1日に1つカレンダーを空けるという風習に習って、記事を投稿するイベント、それがADVENT CALENDAR!
私の興味と日本語教育
日本語教育そして研究の事を話すために、まず私がどんな人間で、何に興味をもっているのかをお話します。
私の興味は「人の頭の中」です。「人は世界をどのように見て、脳みそはどう認識して考えているのだろう。」という大きな興味があります。興味関心に忠実に行動ができるならば、私は何かを考えている誰かさんの頭を割り、脳みそを見たいのです。が・・・残念ながらそれをしてしまうと咎人になってしまいます。なによりスプラッタが苦手な私は人の頭をかち割り脳みそを取り出す行為はできればやりたくないです。
別の方法で・・・ということで、人の頭の中を見る道具の「言葉」を観察しています。あなたが無意識に考えた事を口にできるその「言葉」たくさんの情報を秘めているんですよ!
言葉という存在について
そもそも言語はただ単語を並べれば成立するものではなく、ある程度規則性があります。では、赤ちゃんの時にお母さんお父さんから「言語には主語と述語があり、日本語はSOVの形で文を作るんだよ!」と教えてもらいましたでしょうか?たぶん違いますよね。ある程度大人になった今でも、「『東京に行く』と『東京へ行く』は何がちがうの?」みたいな言葉のルールを答えられないと思います。だってそんなこと考えなくても使えるから。
教えてもらってないけれども、使いこなせている。
ルールを説明出来ないけれども使いこなせている。
言語とそれを操る人間にはこのような不思議があります。
実際にここで解き明かす事はしないですが、言葉を発する人間は無意識の中で面白い事をやっています。Twitter(@ky0ntmut)のハッシュタグ「#きになるぬほんご」で不思議な日本語を集めているのでもしよかったら見てみてください。
☆なぜ「発表します」ではなく「それでは発表させていただきます。」と言うのだろう?
☆「私は母を死なせてしまった」ってどんな気持ちが込められている?
☆「ググる」という言葉がなぜできたのか?
☆「良さみ」と「良さ」って何が違うのだろう。
そんな日本語学・日本語文法学に溺れていた私が結局、日本語教育学に進んだのは、摩訶不思議な「言葉」を操り外国人に「日本語を話せるようにする」日本語教育が魔法使いのように感じたからです。また、本来は自然と習得していく言語を教える人物って神様みたいなものなのでは?という理由からです。私は言語の魔法使いになりたいのかもしれません(笑)
もっと「ちゃんとした」理由はないのか?現在の日本語教育の必要性や学問の社会的位置付けなどもあるのですが、それらが研究したい!学びたい!と思った直接的な理由ではありません。行動の原動力の部分はそれくらい簡単な純粋な気持ちだと思っています。
私の研究:学習の時、あなたは何を考えている?
私の研究テーマは「自律学習支援教育」です。自律学習とは、先生から教えられる形ではなく自分で問題点を探し、それに効果的な学習法を探し出し、自分で実践、結果どうだったのか、という学習の一連の流れを勉強する本人が決めていく学習を指します。
例えば、今あなたが学校の先生から「先生、もう嫌になっちゃったから自分でやってね!」と言われても何をすれば良いのかわからないですよね。実際、自律学習に必要な能力は自然と身につく物ではなく教師の支援が必要と言われています[青木, 2001]。では教師はどんな支援をすればよいのか?それは勉強している本人がその時点で何に注目しているのか、何を考えているのかで変化するのではないか?これが私の研究です。
もっと自分の興味関心からの疑問を書くと、本来無意識に操っているはずの言語。学んでいる最中の人間は自分の言語事情についてどのように捉えているのでしょうか。脳みそはその時何を見て、何を考えているのでしょうか・・・。となります。
例えば、日本語を勉強しているある人が最初は「聞くこと」に漠然と不安をもち、それが次第に「大学での講義の聞く事」に対象が狭くなっていく。また、最初は「聞く事」が心配だったけれども今は聞くよりも「話す事」が難しい。このように日本語を勉強している人が最初に何に注目し、どんな成長を希望しているのか。それらはどのような変化を遂げるのかを明らかにしていきます。
この日本語を勉強している人の大まかな「心配事/考えている事の道筋」がわかると日本語を教える教師の対策や教材の開発に使えるのではないでしょうか。そんな未来を夢見て、人の頭の中を調べています。