どうも、木村(@kimu3_slime)です。
僕は現在、ネット文化を紹介するサイト『文脈をつなぐ』を運営しています。そして、その広告収入で生活しています(ギリギリですが笑)。
しかし、大学時代は数学を勉強していました。同級生のほとんどが歩まないキャリアです。
1992年生まれで26歳の僕はかつて、匿名掲示板「2ちゃんねる」を利用していた高校生の2ちゃんねらーでした。どうしてこうなったか? その人生の変化をお話します。
高校生2ちゃんねらーの大学選び
時は2008年。僕は群馬県の高校2年生でした。
おとなしい性格で友達はおらず、家でゲームをやりこみネットサーフィンすることが生きがいでした。
当時嬉しかったのは、ネット上で人気の(今も人気ですが)「東方Project」というシューティングゲームのスコアアタックで良い結果を残したこと。
ゲームで結果を残せたならば、その能力を社会の役に立てることもできるはずだ。小さい頃から、家で勉強を全くせずとも、人より勉強ができる方でした。
「自分の得意なことは頭を使うことだ」。そこで、大学受験という腕試しをしようと決心。
テスト前はずっと0時間勉強で先生に怒られていた僕でしたが、そこからは1年間真剣に受験勉強に取り組みました。
高校入学時に勉強を頑張らなかったこともあり、通っていた高校はトップの進学校というわけではありません。学校の授業はマーク式のセンター試験対策がメインで、それでは記述式試験の対策がほとんどできない。難関大学は記述式試験の点数配分が高いのです。
どうやって記述式試験の対策をしたら良いのだろう? そこで僕が頼ったのがインターネットです。
2ちゃんねる(現5ちゃんねる)には、「大学受験板」という板があります。
「物理を勉強するならば、どんな参考書がおすすめなのか?」「この大学に進学しようとしている人たちは、模試でどれくらいの結果を残しているのか?」
ネットの情報を頼りに、参考書をベースに独学で勉強していき、現役で東工大に入学することができました。ちなみに、1学年240人の学校で学年トップの成績です。
どうして志望校を東工大に設定したか。
理科系の科目が好きだった、家を離れて東京の大学に出たかった、もちろんこれも理由です。しかし大きな影響は、これもまた2ちゃんねるです。
大学受験板には、「~大学に合格するためのスレ」が多く立っています。その中でも、僕は「東京工業大学に合格するためのスレ」が気に入りました。
例えば、「東京工業大学に合格するためのスレ@wiki」というwikiがあり、他の大学スレに比べて多くの情報が集まっています。また、同時にウォッチしていた大学生活板の東工大スレも、オタクっぽい人が多く、雰囲気が気に入ったのです。この界隈では有名な、「信州大コピペ」という東工大の知名度のなさを自虐するネタがあります(笑)。偏りがあるとはいえ、ネット上の擬似的なオープンキャンパスとして見ることができました。
オタクの同志が見つかるかもしれない、そんな希望は受験勉強のモチベーションになりました。
研究室紹介冊子サークルに、2ちゃんねらーが?
2010年、大学に入学した春。桜吹雪舞うキャンパスでは、新入生のサークル勧誘が盛んです。
コミュ障だった僕はサークル活動に参加するつもりはありませんでしたが、たまたま声をかけられ、あるサークルに興味を持ちます。
それが、研究室を紹介するフリーペーパー「LANDFALL(ランドフォール)」の製作委員会です。
東工大には1000近い数の研究室があり、入学した学生は学部4年でいずれかの研究室に所属します。しかし、大学に入学したばかりの学部生にとって、研究の世界は未知。「LANDFALL」は、大学の先生方に取材をし、その学問や研究を学部1年生でも理解できるように文章化し、年3回紙の冊子を発行しています。
僕は自分の専攻分野を超えた学びにも興味があったので、LANDFALLに興味を持ちました。すると、同級生に2ちゃんねるの「スレ」出身の子がいたのです。いわばオフ会ですよね。彼とは「東方」の趣味も合い、仲良くなっていきました。
スレ出身者がいたのは、偶然ではありませんでした。なんと、「合格するためのスレwiki」を運営していたのは、サークルの先輩だったのです。アフロの髪型が目立つ先輩は、2ちゃんねるの有名なコテハン「0.3(れいてんさん)」でした。
もうここまで揃ってしまったら、入部するしかない。
本来、サークルの活動と2ちゃんねらーであることには関係がありません。実際、スレのことを知らないメンバーも半数以上はいます。だけど、先輩のおかげでネットユーザーが比較的多かったのは事実です。
当時は、ネット文化やオタク文化の話は場所によっては嫌われましたが、その話をしても大丈夫な場所だとわかって安心できました。
オタクの話をしたいならば、漫画研究会やアニメ同好会に行く方法もあります。しかし、僕は別に自分の趣味をわかってもらいたいわけではありません。
「LANDFALL」は活動内容とオタク・ネット文化が直接は関係ないため、趣味がバラバラでいいという寛容性がありました。それでありながら、尖った一芸を持つ変わり者のメンバーが多かった。
結果として、サークルで出会った人々の多くと気が合い、友達になりました。
一般的な就職の道も考えたが、ネット文化の発信を仕事に
LANDFALLでの活動は、2年間。編集長を務めた時期もあり、あっという間でした。
その後、数学にハマって研究をしたいと思い大学院に進学したり、一般的な就職活動をしていた時期もありました。
小学生の頃は「お金を稼いで親に恩返ししたい」と思っていました。
大学時代の就職の選択肢は漠然としたもので、プライベートで自由な時間を得るために公務員になろうか、数学の専門性を活かしてアクチュアリー(保険数理士)になろうかと考えていたこともありました。
仕事ではネット文化のことをテーマにしなくても、ネットを使った仕事につければそれで良いかもしれないと思っていた時期はありました。
けれど、結局戻ってきた。なぜか。
一人でパソコンで作業をするのが好き、言語化するのが好き。自分には適性があると感じた、ウェブメディア関係で相談に乗ってくれる人がいた、それも理由です。
『文脈をつなぐ』のテーマであるニッチな「ネット文化」に気づけたのは、ネットを通じて知り合った人がきっかけでした。
それも、2ちゃんねるを通じて知った人、大学のサークルで知り合った人たちです。
人を通じて人生が変わる。それも、インターネットで人生が変わる。子供の頃の僕に言ったら信じてもらえないかもしれませんが、本当にそうとしか言いようがない経験をしました。
木村すらいむ(@kimu3_slime)でした。ではでは。