学術研究においては、何らかの新しさ(新規性)が求められます。その新しさは、物事の発見や解釈、既存の仮説に対する更なる根拠の提示など様々です。しかし、そのような形の研究であろうと、ただ新しいだけでは不十分で、何らかの意味で妥当な議論であること、言い換えるとその分野における「正しさ」の基準を満たしていることが求められます。
このような妥当性を測る基準は1つではありません。問いの立て方、根拠として用いるデータの種類、扱う研究対象など、様々な事柄が研究の妥当性を測る指標として用いられます(学術研究の妥当性を問う態度・作法一般については「批評」、「批判」の記事をそれぞれ参照してください)。このような種々の基準の1つとして、「主張と根拠の論理的な結びつき」を挙げることができます。
論理的な関係というのは、研究分野の違い、つまり問いや研究対象、扱うデータなどの違いを超えて共通する一般的なものです。したがって、どのような研究であろうと主張と根拠の結びつき方には一定の形式的な特徴が見出せます。この記事では、分野を超えて一般に見いだしうる主張と根拠の形式的なつながりに着目し、その分類の1つである「帰納法(induction/ inductive reasoning)」(または「帰納的論証」)について解説を行います。
論証
論証とは何か
学術研究では、自らの新しいアイディア・主張を提起することが求められますが、そこには当然のことながら根拠がなければいけません。この、根拠を伴って主張を提起することを「論証(argument)」と言います。
ウェストン(2019; 序章)は、論証の捉え方・考え方には様々な形があるとして、次のような論証の見方を挙げています。それらを抜粋してみましょう。
- 結論を支える一連の根拠や証拠を提示すること。 […] 論証とは、特定の考えを根拠で裏付けようとする行為である。
- 見解の是非を判断する手段
- 検討のための手段…
- [結論]をいかに分かりやすく説明し、正当性を主張するかが論証の役割となる。
一見すると、上記にあげた「論証」の捉え方は別々のものに見えるかもしれませんが、この違いは単に「自分自身が実際に何かを考えているとき」か、はたまた「アイディアの妥当性を他者に説得するとき」か、あるいは「他者の主張の妥当性を評価するとき」か、という視点・時系列の問題であって、根本的には同じ事柄の別の側面に過ぎません。
論証の論理的な側面
さて、既に論証を「根拠を伴って主張を提起すること」という風にまとめました。そこで、次のような2つの論証を考えてみましょう。
[例1]
(根拠1)1組に赤点の生徒はいなかった。
(根拠2)太郎は1組の生徒だ。
(結論)太郎は赤点ではない。
[例2]
(根拠1)1組の生徒である二郎は赤点ではなかった。
(根拠2)1組の生徒である三郎は赤点ではなかった。
(根拠3)1組の生徒である四郎は赤点ではなかった。
…
(結論)1組の生徒である太郎も、赤点ではない。
これら2つの論証を評価する視点は様々です。例えば「なぜ2組ではなく、1組の生徒を見ているのか」(扱うデータの種類)や「なぜ太郎の成績を考える必要があるのか」(問いの立て方)は、論証を評価する1つの視点です。
一方で、論証を主張(結論)と根拠の結びつき・関係という論理的な視点から評価することもできます。例えば、[例1]は(根拠が正しければ)結論の正しさは揺るぎませんが、実は結論に関する情報は根拠の中に既に含まれているものです。一方、[例2]の論証は、実は必ずしも正しいとは言えませんが、得られた結論は我々の手持ちの知識を増やしてくれます。(詳細は以下の内容、および「演繹法」の記事を参照)
特に、論証の論理的側面に着目すると、論証を2つに分類することができます。[例1]のような論証は演繹的論証(演繹法)と呼ばれ、[例2]のような論証は帰納的論証(帰納法)と呼ばれます。演繹法的論証と帰納法的論証の特徴を簡単にまとめたものが以下の表です。
結論の正しさ | 知識量 | |
演繹法的論証 | 常に正しい(必然的)※「型」と前提が正しい場合に限る | 増えない |
帰納法的論証 | 正しいかもしれないし、間違っているかもしれない(蓋然的) | 増える |
以下では、特に帰納法に的を絞って、その特徴を概観していきます。
枚挙的帰納法
枚挙的帰納法の例
帰納法と言うとき、典型的には枚挙的帰納法と呼ばれる論証形式を指します。まずは枚挙的帰納法の具体例を見てみましょう。
[例3]
(根拠1)カラスAは黒い。
(根拠2)カラスBは黒い。
(根拠3)カラスCは黒い。
……
(結論)すべてのカラスは黒い。
枚挙的帰納法の2つの要件
枚挙的帰納法は、日常生活でも学術研究でもごくありふれた一般的な考え方です。一見すると、この論証には何の問題も無いように見えます。しかし、枚挙的帰納法は結論が常に正しいとは限らないという大きな特徴(あるいは弱点)があります。
[例3]について考えると、カラスA、B、Cについての観察は、この3羽のカラスについての情報しか持ち得ないはずです。したがって、まだ見ぬカラスDを含んでしまう「すべてのカラスは黒い」という結論には一定の「論理的飛躍」があります。実際、世の中には白いカラスも存在するため、[例3]の論証の結論は厳密には誤りです。このように、(枚挙的)帰納法の結論は「正しいかもしれないが、絶対ではない(誤っているかもしれない)」ものであり、このことをして「帰納法の結論の正しさは蓋然的である」と言います。
枚挙的帰納法の結論が蓋然的であるのには理由があります。実は、枚挙的帰納法の結論が絶対に正しいと言えるためには2つの要件が求められるのですが、この前提の正しさを100%保証することが難しい(ほとんど不可能)のです。
1つめの要件は「観察対象が同じ種類のものである」ことです。もし観察していた対象の中に、カラス以外の生物が紛れ込んでいたら枚挙的帰納法は正しく機能しません。同じカラスでも別の個体である限り、たとえばくちばしの大きさなどに違いがあり、こうした違いを切り捨てて(捨象して)、同じカラスだと言えない限り、枚挙的帰納法は成立しません。しかし、切り捨てて良い差異と切り捨ててはいけない差異(カラスと別の種類の鳥の間にある差異)の区別は、必ずしも明瞭であるとは限りません。
枚挙的帰納法の正しさを保証するための必要な要件の2つ目は「自然の斉一性」です。自然の斉一性とは「自然現象には一定の秩序があり、同じ条件下では同じような現象が生じる」という想定です。たとえば、我々は今日も明日も、それ以降の未来もまったく同じように東から太陽が昇るだろうと考えます。しかし、この根拠は今までもそうだったから以上にはありません。この「今までもそうだったから」というのはまさしく枚挙的帰納法に他ならず、次のような関係が生じてしまいます。
- 枚挙的帰納法は自然の斉一性を前提とする。
- 自然の斉一性は枚挙的帰納法を前提とする。
したがって、枚挙的帰納法と自然の斉一性は互いに循環する関係になってしまいます。このため自然の斉一性を前提できず、枚挙的帰納法は絶対的な正しさを保証できない、つまり正しさは蓋然的なものに留まることになります。翻っていうと、学術的な論証で枚挙的帰納法を用いる場合には、何らかの形で斉一性が前提とされています。
上記2つの要件は、それぞれの研究領域で暗黙の了解となっている場合も多く、このような暗黙の了解がその分野の特徴になっていると考えることもできるでしょう。
そのほかの帰納法
前節では、枚挙的帰納法について概観しました。狭い意味での「帰納法」は枚挙的帰納法のみを指します。一方、「帰納法」ということばをより広い意味で用いることもあります。その場合、帰納法ということばは「非演繹的論証」(演繹的論証ではない論証)一般を指します。この意味での帰納法は、枚挙的帰納法と同じく「結論の正しさが蓋然的」つまり「正しいかもしれないし、間違っているかもしれない」論証になります。以下ではその具体例を簡単に紹介します。
アナロジー
広義の帰納法の例の1つ目としてアナロジーが挙げられます。アナロジーは「AとBは似ている」ということを根拠に「AとBは同じ性質を持つ」と結論付ける論証です。さっそく具体例を見てみましょう。
[例4]
(根拠1)ヒトと他の霊長類は似ている。
(根拠2)ヒトは言語を用いることができる。
(結論)ヒト以外の霊長類も言語を用いることができる。
この推論は、ヒトと他の霊長類(たとえばゴリラ)が似ていることを根拠にして、両者が同じ性質(言語を用いることができる)という結論を導いています。この論証によって、人以外の霊長類について、それまでには無かった(=根拠の中に含まれていない)新しい知識を獲得することができています。
しかし、この結論は絶対に正しいと言えるものではありません。実際に、ヒトとゴリラの間には異なる特徴がいくつも存在します。「似ている」ことは「同じ特徴を持つ」ことを常に保証してくれるわけではないのです。この意味で[例4]のようなアナロジーに基づく論証の正しさは蓋然的なものに留まります(アナロジーの運用に関する注意点については、ウェストン(2019; 第3章)を参照)。
アブダクション
アブダクションも広義の帰納法の1つです。アブダクションは、簡単に言うと「ある事実に対して、それをうまく説明してくれる理由を考えだす」ような論証です。アブダクションは日常生活でも、研究活動の中でもありふれています。たとえば次のような場合です。
[例5]
(事実)人がことばを話すときに、部位Xの活動が活発になる。
(根拠)部位Xがことばの使用にかかわっているならば、ことばを話すときに部位Xの活動が活発になる事実を上手く説明できる。
(結論)部位Xはことばの使用にかかわっている。
このように、アブダクションは研究活動の中でもよく見られる論証形式であると言えます。しかし、アブダクションも広義の帰納法であり、したがって結論の正しさが必ず保証されるわけではありません。
たとえば、脳の活動が活発になったのは、単に話に「集中」したり、「話題に関する過去の記憶を思い出していたから」かもしれません。もしそうであれば、[例5]の結論は誤りだということになりますが、これらの別の可能性をすべて、完全に排除することは、多くの場合困難です。したがって、アブダクションもまた、結論の正しさが蓋然的な(広義の)帰納法の一1種だということになります。
(アブダクションは、論理学的には「後件肯定の誤謬」と呼ばれる、典型的な論理的誤謬です。論理的誤謬とは、「演繹的論証とは言えないような論証」のことを指します。)
まとめ
自らの主張に根拠を伴わせる論証は、学術研究において欠かせないプロセスです。冒頭で述べた通り、論証を評価する基準は複数存在ますが、特に論理的観点からは論証を2つに分類できます。この分類の1つである帰納法は「結論の正しさが蓋然的(絶対に正しいとは言い切れない)」一方で「根拠には無かった新しい知識(あるいはアイディア)をもたらしてくれる」ものです。そのため多くの場合、帰納法は研究の軸となるアイディアを思いつく過程でよく用いられます。
その一方、帰納法は結論の正しさを担保してくれるわけではないので、帰納法だけに基づいて自らの主張を押し通すと、議論が脆弱になってしまうこともあります。そのため、特に物理学を中心とする自然科学の領域では、帰納法と演繹的論証と組み合わせた論証(仮説演繹法)を用いることが基本です。帰納法の一本鎗で突き通すよりも、帰納法の持ち味を生かして、うまく使いこなすことの方が求められていると言えるでしょう。
参考文献
- アンソニー・ウェストン (2019) 『論証のルールブック [第5版]』 筑摩書房
- 福澤一吉 (2017) 『論理的思考 最高の教科書』サイエンス・アイ新書
読書案内
論証の基本的な手続き、演繹的論証/帰納的論証の区別、論証の具体例と練習問題、など「帰納と演繹」を学ぶのに必要な情報が揃った1冊。練習問題もついています。論証の基本について学びたい人は、まずこの本を読むのをお勧めします。
特に第1章の第1節で、帰納と演繹が(自然)科学の分野でどう用いられているか解説をしています(本書では、後にこの見方に疑いを向けることになりますが)。実際の研究活動(特に自然科学)における帰納・演繹の用いられ方、研究活動のプロセスの基本的な理解をする上で大きな助けになるはずです。
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