現場と対話による知の練磨―『教養主義のリハビリテーション』

「教養」ということばには、そのあまりに広大な知的源流を嗅ぎ取る書き手にとっても、どこか知的権威へのまなざしを見に付けたいと渇望する読み手にとっても、どこか「得がたい”なにか”」を思い浮かべさせるような気配が漂っているように思われます。

「教養とは自由になるための術だ」
「教養とは人格を養う上で必要不可欠な要素だ」
「教養とはプライベート(私的なもの)とパブリック(公的なもの)を整理する能力だ」

などなど。さまざまに語られてきたものでもあります。

果たして、魅惑的な雰囲気を醸し出す「教養」とはなんなのか。
「教養」をリハビリテーションするとはどういうことなのか。

メディア論を専門に、知識人の歴史的な変遷を研究し、批評家としても活躍する大澤聡さんが、

  • 臨床哲学を提唱して従来の哲学研究を拡張させた鷲田清一さん
  • 教育社会学において「教養主義の没落」を描くなどといった研究を展開する竹内洋さん
  • カルチュラル・スタディーズとメディア論の観点から研究を行いつつ大学改革へも積極的に言及する吉見俊哉さん

ら三者と「教養主義」をテーマに対話を繰り広げるのが今回紹介する『教養主義のリハビリテーション』です。

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基本情報と目次

基本情報

発行年月:2018年5月15日
出版社:筑摩書房、筑摩選書
著者名:大澤聡

目次

はじめに
第1章 【現代編】 「現場的教養」の時代……鷲田清一×大澤 聡

1 リーダー・フレンドリー?
2 日常のことばで考える
3 パッシブにならない
4 コミュニケーション圏の外へ
5 タコツボ化と総合
6 水平の深みとパララックス
7 のっぺりした世界に歴史性を
8 アートの新しい活用法

第2章 【歴史編】 日本型教養主義の来歴……竹内洋×大澤 聡

1 教養主義の起源をめぐって
2 マルクス主義と日本主義
3 文学部的なものの盛衰
4 丸山眞男と吉本隆明
5 卓越化から平準化へ
6 研究者の劣化スパイラル
7 「上から目線」というけれど
8 文化ポピュリズムの構造

第3章 【制度編】 大学と新しい教養……吉見俊哉×大澤 聡

1 「いま・ここ」を内破する知
2 ジャンル混淆性と再帰的設計
3 とある改革私案
4 第三の大学の誕生?
5 フレーム構築力を身につける
6 専攻の二刀流主義を導入せよ
7 エンサイクロペディアへの回帰
8 教養としてのアーカイブ活用

第4章 【対話のあとで】 全体性への想像力について……大澤 聡

マーケティング時代の読書
読書の消滅?
読書革命と出版大衆化
日本型教養主義の履歴
獲得された教養
精読か、濫読か
なぜ速読したいと思うのか
「放置型読書」の時代
この身体を通過させる
全体性への想像力を
歴史観なき歴史
テンプレ化する社会
対話的教養とはなにか

『教養主義のリハビリテーション』の概要

メディア論を専門にする大澤さんと「聴く」ことの哲学的探究を行う鷲田清一さんに「教育」における社会的な複雑さを社会学的に紐付ける竹内洋さん、そして身近にある「文化」的事象から政治性をえぐり出す吉見俊哉さんらによる対談ということもあり、広く「社会文化的なコミュニケーション」「メディア(出版 etc.)」を中心に知を養うこと、理性・知性・感性を駆使して知を用いることの現代的意義を問いかけていくのが全体的な流れとなっています。

対談本ということで、良くも悪くも、各論者の姿勢や価値観、まなざしが現れている本だと言えるでしょう。

Share Studyにおける情報発信然り、あらゆるところに情報が溢れ、知ることができるこの現代のデジタルメディア環境。お手軽に「情報」を仕入れることができる今において、古びれた「教養」とはなんだったのか、如何に知的練磨をすることができるのかが語られていきます。

本書を貫くのは、古くて新しい「教養観」を浮き上がらせていくことと言っていいでしょう。本や対話を通じた知の取得と研鑽、アーカイブ化に、読み解きを、単なる消費者としてではなく、生産者の姿勢を持って関わることの意義が語られています。

「現場的教養+対話的教養」

各論者による語りから浮かび上がって提唱される新しい教養としての「現場的教養+対話的教養」。

従来、「あれを読まないといけない、これを読まないといけない」といったあたかも「欠陥した知識の必要性」を強調する教養ではなく、複雑さと細分化が進み全体性を語ることの難しさが露呈した状況下の中で、あくまで一現場からも全体を仮構することができる知性と、知識・経験における前提や価値観が異なる他者とも通ずるようなことばを駆使できるのが「現場的教養+対話的教養」です。

著者の大澤聡さんは本書のおわりにて、対話的教養を「比喩」を用いて折衷的に説明できる能力でもあることを述べています。専門性や厳密性を重視する学問において、「比喩」というのは「論理」というよりも「感覚」を重視するためあまり好まれるものではありません。ですが、学問分野も多極化した現代社会において、また現場における知的まなざしを役立てることにおいて、異なる専門や価値観を持つ他者と合い通じる問題意識やまなざしを共有する上で、「比喩」を駆使することができるのが対話的教養でもある、というのは重要な指摘でしょう。

自分自身における教養の練磨と<声>

本書では、古びれた知のあり方としての教養を論じつつも、それを引き継いだ「教養」の用い方や磨き方が語られています。

安易に「現場性」だけに回収せず、過去を引き継ぎ、未来のために、”今ここ”の知を打ち壊していくことも射程に入れた教養という意味では、古き教養を練り上げていく中で「現場的教養+対話的教養」を提示する著作となっています。

しかし、ここで語られる論者、特に鷲田清一さん、竹内洋さん、吉見俊哉さんはこれまでの研究を一線で切り開いてきた方々であり、聞き手となったのは若手批評家でもある大澤聡さんです。具体的に読者である自分自身が、ここで示される教養を磨いていくことができるのかがまた問われていると言っていいでしょう。

軽やかに「教養」が語られつつも、読者がこれを読んで「自己満足」に浸らないよう、身近な他者や本との対話を通じて、学びを深めることが重要だということです。

ですが、本書第2章で「上から目線というけれど」において、「ほんとうに”上”なのだから”上から目線”と言う必要がないのでは」という話が語られていました。こうした「欠陥」を強調する「教養観」があるのも、読者は批判的に読み解くことも重要かと思います。ここで語られていることがすべてではないですし、下手に真に受けすぎるのもよくありません。

「そんなことはないぞ!」と現場からの<声>として読者がこの語りに参加することで、過去を引き継ぎつつ、未来に向けた議論として昇華されていくのではないでしょうか?

教養主義のリハビリテーション
大澤聡(他)、2018年5月15日、筑摩書房


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